本太刀は、「有栖川宮熾仁親王」(ありすがわのみやたるひとしんのう)の愛刀と伝わる1振です。
熾仁親王は、1848年(嘉永元年)、すでに崩御していた「仁孝天皇」(にんこうてんのう)の猶子(ゆうし/ゆうじ:親族や他人の子を自分の子とする制度)となっており、同天皇の皇女「和宮」(かずのみや)の元許婚としても知られています。
明治維新期には、新政府軍の総司令官にあたる「戊辰戦争」(ぼしんせんそう)での「東征大総督」(とうせいだいそうとく)、及び「西南戦争」(せいなんせんそう)での「征討総督」(せいとうそうとく)を歴任。
これらの功績により、明治天皇から絶大な信頼を受けた熾仁親王は、1877年(明治10年)、「西郷隆盛」(さいごうたかもり)に次ぐ史上2人目の陸軍大将に任命されました。
本太刀の作者である「長光」は、備前国(びぜんのくに:現在の岡山県南東部)長船派の実質的な祖である「光忠」(みつただ)の嫡男として2代目頭領となり、優れた作品を後世に数多く残している名工です。
本太刀は、おとなしく気品のある互の目(ぐのめ)丁子で、物打あたりで直刃になり、帽子は三作帽子と長光の特徴をよく示しています。