備中国(びっちゅうのくに:現在の岡山県西部)「水田」派は、一説には大永年間(1521~1527年)以前、同国の水田や砦部(あざえ)などの地に、伊予国(いよのくに:現在の愛媛県)から引き揚げて来た「古青江」(こあおえ)派「為次」(ためつぐ)の末流たちが、その再興を図ったことが始まりと伝えられています。
「水田国重」の系統は、室町時代後期から江戸時代中期に亘って、60余名に上る同銘鍛冶を世に送り出すほどの繁栄を見せた1派です。
また、新刀期以降の水田派は、本槍を作刀した「大月」(おおつき)派第1の名人「大与五国重」(おおよごくにしげ)派と、「為家」(ためいえ)を頭領とする「河野」(こうの)派に二分されます。
本槍の形状は「菱形槍」(ひしがたやり)で、直刃調に二重刃や喰違刃(くいちがいば)を交え、ところどころに荒沸(あらにえ)が付き、匂口(においぐち)締りごころになり、板目肌に柾目(まさめ)が流れる作風です。