本刀を制作した2代「川島忠善」(かわしまただよし)は、1923年(大正12年)8月15日、島根県仁多郡に生まれました。本名は「川島真」。
父である初代・川島忠善に鍛刀の技を学び、強い鍛えの地鉄と、鋭い刃味で知られる、昭和の代表的な名工です。
「備前長船長光」(びぜんおさふねながみつ)を模範とする備前伝を得意とした忠善は、自身の考え方として、「現在とかく華美になりすぎる感がある。あくまでも刀であるから、使用しなくても実用的であることを忘れてはいけないと思う。美術的で、折れず、曲がらず、よく切れるということを念頭において鍛刀せねばならない」と述べています。
戦時中は、「刀匠協会展」にて、金・銀牌(きん・ぎんぱい)を獲得。戦後、「作刀技術発表会」で努力賞1回、優秀賞3回、特賞3回を受賞。「新作名刀展」では、努力賞1回、奨励賞2回受賞。また、「毎日新聞社賞」1回、「文化財保護委員会委員長賞」1回、「名誉会長賞」1回と数多くの受賞歴があります。
1972年(昭和47年)、忠善は無鑑査刀匠に認定されました。