源盛吉は、1920年(大正9年)生まれ。熊本県八代市において鍛刀を行ないました。
1934年(昭和9年)「金剛兵衛盛高靖博」(こんごうひょうえもりたかやすひろ)師に入門。さらに盛高師が8代に迎えた「延寿太郎宣繁」(えんじゅたろうのぶしげ)に学びます。
師匠の金剛兵衛一門は代々「盛」の字を用いており、1940年(昭和15年)に「源」と「盛」の二字をもらい、「源盛吉」の刀匠銘を授かり、さらに、延寿宣繁師の後継でもあることから、1941年(昭和16年)「延寿宣次」の名を授かりました。
1952年(昭和52年)に講和記念刀を制作。1954年(昭和29年)の第1回作刀技術発表会から連続出品します。文化庁長官賞(2回)、毎日新聞社賞、日本美術刀剣保存協会会長賞、薫山賞(2回)、寒山賞などの特賞を数々受賞。1985年(昭和60年)には無鑑査となります。源清麿写で名声を高め、迫力のある相州伝の傑作を残した刀匠です。1990年(平成2年)没。享年70歳。