本刀を制作した「湧水心貞吉」(ゆうすいしんさだよし)は、1908年(明治41年)徳島県に生まれ、のちに、人間国宝「月山貞一」(がっさんさだいち)の父「月山貞勝」(がっさんさだかつ)に師事します。
第2次世界大戦終結後、数多くの賞で入選を果たし無鑑査となりました。
貞吉は鍛えの名人として高く評価され、月山貞勝門下では、月山貞一、「高橋貞次」(たかはしさだつぐ)に比肩する刀工として広く知られています。貞吉の作品には、特に相州伝の優れた作風が残り、「正宗」や「志津」(しづ)を狙った作刀が特徴的です。
2000年(平成12年)、92歳で没しました。