1915年(大正4年)福島県郡山市生まれ。貞治年間(1362~1367年)ごろの越後の刀工「山村正信」(やまむらまさのぶ)の末裔だと言われています。
1933年(昭和8年)「笠間一貫斎繁継」(かさまいっかんさいしげつぐ)に入門、のちに娘婿に。師匠であり、義父である笠間一貫斎繁継と同じく一貫斎の号を名乗りました。
1943年(昭和18年)陸軍受命刀工任命。陸軍軍刀技術奨励会会長賞、海軍大臣賞など数々の賞を受賞しています。
戦後も新作日本刀展特賞、文部大臣賞などを受賞し、一層の活躍を期待されましたが、1960年(昭和35年)に早逝。
戦前の現代刀匠番付では東の横綱に君臨するほどの名工で、その作風は「源清麿」(みなもとのきよまろ)のような互の目(ぐのめ)乱れや丁子乱れが多く覇気があり、特に地鉄が優れ、現代刀匠では右に出る者がいないと言われています。