「播磨守兼増」は、銘を播磨守兼升・播磨守兼桝とも切ります。播磨(はりま)は、現在の兵庫県のこと。元々は美濃の刀工で、のちに大坂で寛文(1661年~)頃に鍛刀しています。「兼(金)が増す」と喜ばれた名前ですが、あまり数を見ない刀工です。
本刀は、定寸で、身幅があって反り浅く、やや腰で反り、重ねもあって重量が十分。地鉄(じがね)・板目がよくつんで小板目風となり、地沸(じにえ)が厚くついています。刃文、上から下まで砂流し・沸筋が幾重にもかかる乱れ刃で、互の目(ぐのめ)や角がかる刃など種々交えて沸がよくからみ、崩れごころもあり、足が入っています。帽子、直刃調(すぐはちょう)に、さかんに掃きかけて返っています。
実は、本刀の1番の売りは、拵(こしらえ)です。鞘・鍔(つば)・鎺(はばき)に、奴さんが金色・朱などの高蒔絵で描かれ、雀拵とも称されています。全体に鳥頭の奴が3匹おり、たくさんの人間の奴は全員、頭に金色の笠をかぶり顔は見せず、色々な姿態で踊りまくっているのです。幕末の作ですが、この意匠のために兼増という縁起の良い名の刀を探してきて拵に入れたと思われます。