「近江大掾忠廣」は、「肥前刀」の名手・初代「忠吉」(ただよし)を父に持ち、肥前刀の基礎を強固なものにした名工です。
忠廣は、1632年(寛永9年)、19歳のときに家督を継いでから80歳で亡くなる直前まで作刀を続けており、新刀期の名工の中でも数多くの優品を量産したことで知られていますが、その銘に「作」の字を切った物はほとんどなく、また、剣の制作も少なかったことから、本剣は非常に貴重な1振だと言えます。
同工作の剣は、そのすべてが寺社への奉納品であったと見られ、本剣についても、同様であったと推測されているのです。
刀身の表側には、太樋(ふとひ)と神号「天照皇太神」(あまてらすすめおおかみ)の彫り、裏側は、茎(なかご)に作者銘と年紀銘が見られます。年紀銘にある「辛巳」(かのとみ/しんし)のような「干支(十干十二支)」(えと/かんし[じっかんじゅうにし])名が切られるのは、何らかの特別な理由があったことによると考えられています。
本剣は、忠吉一門に伝わる直刃(すぐは)を焼いていますが、その鍛えは剣によく観られる柾目肌(まさめはだ)になっていることが特徴。また帽子は、表裏両側とも乱れ込んでいます。