刀工の「泰龍斎宗寛」は、古くから師「固山宗次」と共に、大変良く切れる刀を作る刀工として人気がありました。1818年(文政元年)、奥州白河に大野平蔵の子として誕生。1848年(嘉永元年)に下総古川藩工に選ばれます。1852年(嘉永4年)ごろ、藩命で江戸に上がり「固山宗次」(こやまむねつぐ)に入門。
本刀は、鍛えは小板目がよく詰み、映りはかすか。刃文は互の目(ぐのめ)、丁子足が入り、尖り刃も交ります。匂勝ち小沸(こにえ)つきますが、ところどころ荒沸ついて地にこぼれます。彫物は、表が剣巻龍、裏が護摩箸です。
現存する親子合作はこの刀のみで、息子の寛次も父宗寛に引けを取らない刀身彫の名手だったことが分かります。大変貴重な1振です。