美濃の名匠と言えば、「関兼定」(せきのかねさだ)と「関兼元」(せきのかねもと)がまず挙げられますが、兼元の日本刀は主に中級武士が所有していたのに対し、兼定は上級武士に愛好され、一格上でした。
世に有名な「和泉守兼定」(いづみのかみかねさだ)は2代目にあたり、各伝法の作を修得した幅広い作風で知られますが、同時代に美濃伝の刀工として知られる優秀な兼定は他にも数名おり、本脇差の制作者もその中の1人と思われます。
本脇差は注文打ちの入念作で、覇気ある刃文は傑出した出来映えであり、美濃伝の本領を発揮した名刀です。
また、本脇差に付随する太刀拵は賢所(かしこどころ:宮中三殿のひとつで、神鏡を祭ってある所)にあったと思われる、16弁菊と桐紋散しで、由緒正しい御下賜品(ごかしひん:天皇・皇族から賜る物)であったことが分かります。