本刀は、守山藩(現在の福島県郡山市)2万石の松平家に伝来した、御家名物(おいえめいぶつ:大名家で秘蔵された名刀)の初代「国包」(くにかね/くにかん)です。
守山松平家は、徳川御三家のひとつ、水戸徳川家の支藩家で、水戸藩の祖「徳川頼房」(とくがわよりふさ)の4男「松平頼元」(まつだいらよりもと)が、常陸国額田(現在の茨城県那珂市)2万石を与えられ額田藩となったのが起源になります。
1700年(元禄13年)、頼元の跡継ぎである「松平頼貞」(まつだいらよりさだ)が、5代将軍「徳川綱吉」より、新たに守山2万石を与えられたため、額田藩の領地を水戸藩に返上し、正式に守山藩が立藩しました。
初代「国包」は、「伊達政宗」の命により、京都の「越中守正俊」(えっちゅうのかみまさとし)に師事。1626年(寛永3年)に「山城大掾」(やましろだいじょう)を受領。
その作風は、大和伝「保昌派」(ほしょうは)の特徴を示し、地鉄(じがね)は柾目肌鍛(まさめはだきたえ)で、刃文は、直刃(すぐは)に浅い湾れ(のたれ)にほつれかかり、匂口明るく、砂流し、金筋がかかります。帽子は、刃文が下へ戻らず刃先に延びている焼詰(やきつめ)です。
本刀の白鞘には、「号守山国包」、「本奥州守山候松平家之有」と明記されています。