本刀の制作者、8代「法華三郎信房」(ほっけさぶろうのぶふさ)は、1909年(明治42年)5月15日生まれ。15歳から作刀の道に入り、7代・信房の作風である備前伝を継ぎました。
第二次世界大戦中は父と共に軍刀を作っていましたが、1955年(昭和30年)、文部省(現在の文部科学省)主催の作刀技術発表会に備前伝の作品を出展し入賞。
法華三郎信房はその後、大和伝「保昌派」(ほしょうは)の復元を志します。保昌派の末流と目される初代「国包」(くにかね/くにかん)の門人であった先祖が大和伝を作風としていたことなどもあり、本格的に大和伝の再現に取り組んだ信房は、8年の歳月を費やして努力を重ね、復元に成功しました。
「新作名刀展」において、備前伝・大和伝での入賞を繰り返し、1981年(昭和56年)、無鑑査に認定。また、仙台藩に伝わる国包の大和伝保昌派を継承していることが認められ、宮城県指定無形文化財となりました。2000年(平成12年)10月25日逝去。享年91歳。