本刀を制作したのは、初代「月山貞一」。1836年(天保7年)生まれで、7歳のときに出羽国(でわのくに:現在の山形県)の月山鍛冶の末裔である「月山貞吉」の養子となり、養父から鍛刀を学びました。
月山鍛冶の家伝である独特な「綾杉肌」を継承。その鍛えの美しさと、豪壮な作風が評判となりました。才能・技術共に高く、備前伝、相州伝など、巧みに操ったと言われています。
1906年(明治39年)には、宮内省より帝室技芸員(ていしつぎげいいん:皇室の美術や工芸品の制作をした美術家)に任命。本刀は、その任命を受けた1906年(明治39年)に作刀しました。福岡一文字の写しとされ、樋中には「君萬歳」(きみばんざい)と刻まれています。