「素槍」(すやり:刀身に枝刃が設けられていない直線状の槍。同音で「直槍」とも表記する)に分類される本槍は、刀身の断面が三角形に見えることから「三角素槍」と呼称され、戦国時代末期に作られたと見られる本槍は、同時期における他の刀剣と同様に、頑丈な造込みになっていることが特徴です。
本槍を手掛けた「藤原兼定」は、美濃国(現在の岐阜県南部)関を代表する古刀期の名工「和泉守兼定」(いずみのかみかねさだ)の系譜を継ぐ刀工。
2代兼定である和泉守兼定は、「定」のウ冠の下に「之」(の)の字を書く銘を用いていたことから、通称「之定」(のさだ)と呼ばれ、その息子にあたる3代兼定は、「定」のウ冠の中を「疋」(ひき)の書体で切っていたため、「疋定」(ひきさだ)と称されていました。藤原兼定は、之定、疋定の後代にあたり、天正年間(1573~1593年)頃に活躍した刀工であると考えられています。