本刀は、宇和島藩(うわじまはん:現在の愛媛県宇和島市)藩主・伊達家に伝来した1振で、付属の拵は江戸時代末期の物です。
「忠光」は、「勝光」(かつみつ)や「宗光」(むねみつ)と共に、室町時代後期の備前国(びぜんのくに:現在の岡山県南東部)で作刀した「末備前」(すえびぜん)を代表する名工。
忠光系と言えば、末備前のなかでも直刃(すぐは)の名手として名高いですが、本刀は、匂口(においぐち)の冴える乱刃(みだれば)の出来映えとなっていることが特徴。さらに表裏には、見事な刀身彫刻(とうしんちょうこく)が施されています。
「延徳三年」(1491年)の年紀銘があることから、忠光系の中でも、文明年間(1469~1487年)から明応年間(1492~1501年)頃にかけて作刀していたと見られる7代目「彦兵衛尉忠光」(ひこべえのじょうただみつ)の作だと考えられています。
また、「備山」(びざん)の号でも知られる刀剣愛好家「岡野多郎松」(おかのたろまつ)氏は、その刃文から連想し、本刀に「走雲」(そううん)という号を命名しました。