本刀は、肥前国(ひぜんのくに:現在の佐賀県、長崎県)佐賀藩の藩主である鍋島家に伝来した1振です。
制作者は、初代「肥前忠吉」(ひぜんただよし)で、1624年(寛永元年)に53歳で「武蔵大掾」(むさしだいじょう)を受領し、以降「武蔵大掾忠廣」と銘を変えました。
本打刀の銘には受領名がありませんが、鍋島家が幕府をはじめ各方面への進上物として使うときの注文にのみ受領銘を省いて、「献上銘」と呼ばれる八字銘を切るように、藩主より指示が出された1振で、入念の作であると伝えられています。
本刀の地鉄(じがね)は、小板目肌(こいためはだ)よく詰み、地沸(じにえ)付き冴えて、刃文(はもん)は浅く大きく湾れ(のたれ)、互の目(ぐのめ)、丁子(ちょうじ)交じりで、明るい沸(にえ)付きです。
また、忠廣の他作品よりも反りが高く、作風が異なっていることから、美濃国関(現在の岐阜県関市)の名工「之定」(のさだ)に私淑(ししゅく:尊敬する人に直接教えを受けるのではなく、秘かに模範として学ぶこと)した作であると考えられています。