本短刀は、1679年(延宝7年)5月6日、徳川幕府5代将軍「徳川綱吉」(とくがわつなよし)の長男「徳川徳松」(とくがわとくまつ)が誕生したのを祝って、旗本の「曽我仲祐」(そがなかすけ)が将軍家に献上した短刀です。
白鞘(しろさや)には、徳川家に代々伝わる「お家流鞘書き」が記されています。
制作者「金重」は、越前敦賀(現在の福井県敦賀市)「清泉寺」の僧でしたが、61歳にして鎌倉の名刀工「正宗」に入門したと伝わり、正宗の高弟である「正宗十哲」(まさむねじってつ)に数えられるようになります。
のちに美濃国(現在の岐阜県南部)関へ移住し、その地で技術向上に尽力するなど、関鍛冶の祖となりました。
本短刀の地鉄(じがね)は、板目肌に模様の大きな大肌と流れ肌が交じり、地沸(じにえ)付き。刃文は、小互の目(こぐのめ)が連なり乱れて、わずかに湾れ(のたれ)を交えて足が入り、小沸(こにえ)が付くなど、金重の典型的な特徴が現われています。
また、現存する在銘の作品は、短刀2振しか確認されておらず、正宗一門の中で最も在銘作がない刀工です。本短刀は、金重の研究のみならず、正宗一門を知る上でも貴重な1振と言えます。