本脇差は、江戸時代中期の刀工「長曽祢興里」(ながそねおきさと)により作られた物。
もともと甲冑師(かっちゅうし)であった長曽祢興里は、年齢50歳頃になる明暦年間(1655~1658年)に江戸へ移り、刀工に転職しました。通説では、「和泉守兼重」(いずみのかみかねしげ)の門弟であったと言われています。当初は「長曽祢興里」を名乗っていましたが、のちに「古鉄」(こてつ)、次が「虎徹」、さらに「乕徹」と称しました。
その作風は、強い地鉄(じがね)で匂口冴え(においぐちさえ)、瓢箪刃(ひょうたんば)や数珠刃(じゅずば)などの独特な刃文(はもん)が特徴です。
刀身彫刻(とうしんちょうこく)の技術にも優れ、不動明王(ふどうみょうおう)の化身である倶利伽羅龍(くりからりゅう)のみならず、浦島太郎、大黒天、風神・雷神などの彫物が確認されています。
本脇差は、欄間透彫(らんかんすかしぼり)の剣巻龍(けんまきりゅう:倶利伽羅龍が剣に巻き付いた様子を表した意匠)と、不動明王(カーン)の梵字(ぼんじ)が陰刻(いんこく:刀身の表面をへこませて彫る技法。)で施された、華やかな1振です。
銘は「長曽祢興里入道乕徹」。「乕」(はことら)が使用されていることから、1664年(寛文4年)以降の後期作品と推測されます。