「短刀 銘 信国」は、南北朝時代に山城国(現在の京都府)で活動した「信国」(のぶくに)により打たれました。江戸時代に伊予国(現在の愛媛県)伊予松山藩を治めた久松松平家に伝来し、親藩の宝物にふさわしく状態は健全で、地刃ともに冴えた優作。
昭和14年2月22日に重要美術品に認定されました。付属する鎺(はばき)も金無垢二重(きんむくふたえ)で立葵紋(たちあおいもん)の透かしが入る精巧な仕立てです。
信国は、来派(らいは)の「了戒」(りょうかい)の子、または孫と伝わる刀工。了戒の下で作刀を学び、また相模国(現在の神奈川県)鎌倉の「貞宗」(さだむね)の弟子にもなり相州伝(そうしゅうでん)を修めたとされ、貞宗三哲(さだむねさんてつ)のひとりに数えられます。作風は貞宗に似て、沸出来(にえでき)に互の目湾れ(ぐのめのたれ)の刃文(はもん)を主調とし、刀身彫刻もよく見られます。信国の系統は「信国派」として山城国で活躍。室町時代後期に九州へ移った者の末裔は江戸時代に筑前信国派となり、筑前国(現在の福岡県)福岡藩のお抱え鍛冶として続きました。
本短刀は平造り(ひらづくり)で三つ棟(みつむね)、先反りは浅く、身幅(みはば)が広めで重ねが薄い、いわゆる「延文・貞治型」(えんぶん・じょうじがた)の姿。茎(なかご)は生ぶで筋違鑢(すじかいやすり)が切られ、先は栗尻(くりじり)。鍛え肌は詰んだ板目(いため)が所々流れごころとなり、地沸(じにえ)は厚く付き地景(ちけい)が交じります。
刃文は互の目を交えた湾れ刃で、匂口(においくち)は深く明るく沸付き、刃中(はちゅう)には金筋(きんすじ)や砂流し(すながし)が盛んに入ります。帽子(ぼうし)は湾れ込み、やや掃きかけて返ります。
刀身彫刻は、いずれも不動明王の象徴である三鈷剣(さんこけん)が差表に、護摩箸(ごまばし)が差裏に彫られます。初期の信国に見られる刀身彫刻は、のちに室町時代の応永年間に打たれた「応永信国」(おうえいのぶくに)の濃厚な刀身彫刻に比べると簡素な点が特徴です。