「短刀 無銘 伝来国俊」は、鎌倉時代末期の山城国(現在の京都府)で活躍した「来国俊」(らいくにとし)の作とみられる1振。付属の白鞘(しらさや)には1889年(明治22年)に刀剣鑑定家の本阿弥長識(ほんあみちょうしょく)がしたためた鞘書(さやがき)があり、金子二百枚の代付がされています。
来国俊は山城国の「来派」(らいは)を代表する刀工ですが、来派の刀剣には銘を「来国俊」と切る物と「国俊」の二字のみ刻んだ物(通称[二字国俊:にじくにとし])とがあります。両者では作風が大きく異なるため、古くより別人説(父子説、兄弟説など)や同一人物説が取り沙汰されてきましたが、現在は別人説が有力となっています。
本短刀は平造り(ひらづくり)で三つ棟(みつむね)、茎(なかご)はやや磨上(すりあ)げられ浅い栗尻(くりじり)となり、鑢目(やすりめ)は勝手下り(かってくだり)。刃文(はもん)は小互の目(こぐのめ)が交じる湾れ(のたれ)調の直刃(すぐは)。刃縁(はぶち)には小沸(こにえ)良く付き、細やかな金筋(きんすじ)と砂流し(すながし)が刃中(はちゅう)にかかります。帽子(ぼうし)はわずかに掃き掛(はきか)けた直刃で小丸返り(こまるがえり)。
地鉄(じがね)は明るく沸映り(にえうつり)が現われ、詰んだ小板目(こいため)の鍛え肌(きたえはだ)には杢目(もくめ)や板目(いため)が交じり、所々流れて肌立ちます。刀身彫刻は、差表が素剣(そけん)、差裏が護摩箸(ごまばし)で不動明王を表わします。
特筆すべきは豪壮な造込み(つくりこみ)。刃長(はちょう)29.6cmで来国俊作の短刀としては最長級で、鎺元(はばきもと)の重ねも0.82cmと分厚く、鎧通(よろいどおし)と呼んでも差し支えないほどです。同時期の「新藤五国光」(しんとうごくにみつ)や「粟田口吉光」(あわたぐちよしみつ)らと並び「短刀の名手」と称される来国俊の技量が存分に発揮された1振です。本短刀は、2011年(平成23年)に重要刀剣に指定されました。