倫光は長船初代兼光の子、または弟とされており、南北朝時代の名匠です。
本刀は、南北朝時代の典型的な姿であった大太刀を大磨上げにした刀で、本来の刀身は長大な物でした。「本阿弥留帳」(鑑定書発行の記録台帳)には、本刀が1658年(明暦4年/万治元年)に紀州徳川家より、刀剣の鑑定を家業としていた本阿弥家に鑑定依頼され、「備前国倫光 金・七枚」とした折紙(鑑定書)を発行したことが記載されています。
のちに本刀は、徳川四天王の本多平八家(桑名藩[くわなはん:現在の三重県桑名市])に移りました。
桑名藩初代藩主・本多忠勝のひ孫の本多弾正少弼(本多忠晴)が、本阿弥家の「金・七枚」とした鑑定評価を不服として、1713 年(正徳3年)に改めて鑑定を依頼し、新たな折紙が「金・拾五枚」として発行されています。
倫光作の中でも、鍛えが特に優れており、肉置の健全さが賞される1振です。