本薙刀は、江戸時代末期に伊予国(現在の愛媛県)の刀工である「治綱」(はるつな)と息子の「仍脩」(なおのぶ)が、「間崎則衡」(まさきのりひら)という土佐藩士の注文を受けて打ち鍛えました。
本薙刀は日本刀の製法で作られていますが、身幅(みはば)が非常に広く、棟側に小さな枝を付けた類を見ない造込みは、中国の武器である偃月刀(えんげつとう)を明らかに模したもので、珍品中の珍品と言えます。
偃月刀は名の通り、偃月(えんげつ:半月)形の刀身を長柄の先に取り付けた武器です。実際には宋時代(10世紀~13世紀)から出現しましたが、明時代初め(14世紀)に成立した小説「三国志演義」(さんごくしえんぎ)では、後漢・三国時代の英雄・「関羽」(かんう)が「冷艶鋸」(れいえんきょ)という名の偃月刀を愛用して活躍する様子が描かれ、このことで偃月刀は関羽のシンボルとして強く認識されました。
日本でも江戸時代に三国志演義が流行すると、偃月刀を携えた関羽の姿は刀装具や浮世絵などの画題に多く採用されたのです。
本薙刀が作られた理由にも、そうした関羽人気がかかわっていたと考えられます。
本薙刀は、茎(なかご)は生ぶで切鑢(きりやすり)が切られ、先は栗尻(くりじり)。鍛肌は沈みがちな板目(いため)が流れ肌を交えて肌立ち、地沸(じにえ)が厚く付きます。刃文(はもん)は直湾れ(すぐのたれ:直刃[すぐは]に近い湾れ刃)で刃中に小足(こあし)が入り、刃縁(はぶち)は沸付いてやや潤みます。帽子(ぼうし)はわずかに掃掛け(はきかけ)返る湾れ調。