本刀は、水戸藩の10代藩主「徳川慶篤」(とくがわよしあつ)が自ら打った大小(だいしょう:打刀と脇差)の脇差です。
徳川慶篤は、水戸藩9代藩主「徳川斉昭」(とくがわなりあき)の子であり、江戸幕府15代将軍の「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)の兄にあたる人物。
1864年(元治元年)に起きた天狗党の乱をめぐって、藩政の舵取りには苦慮しましたが、徳川慶喜の助言も受けながら尊王攘夷派への懐柔策を行ったことで、水戸徳川家が朝敵となるのを免れるといった成果を出しました。
大小セットの打刀と比べると刃文(はもん)の高さが低くおとなしめに見えるものの、丁子を主体とした作風は同様です。地鉄は板目肌がところどころ流れ、地沸(じにえ)が付きます。刃長が38cmとやや短め、平造りの脇差で、南北朝期の寸延び短刀を思わせる姿です。