「盛高」(もりたか)は、鎌倉時代末期から室町時代末期にかけ、筑前国(ちくぜんのくに:現在の福岡県)で作刀した刀匠達であり、金剛兵衛(こんごうひょうえ)という流派に属しました。南北朝期の正平(1346~1370年)の盛高が祖とされ、最も有名です。
西蓮(国吉)の甥とされており、「盛高」、「源盛高」、「金剛兵衛尉源盛高」(こんごうひょうえのじょうみなもとのもりたか)と銘を切った作例が現存。
この盛高が鍛えた日本刀は、地鉄(じがね)は板目に柾目がまじり、地中の働きは地沸(じにえ)が顕著。刃文は直刃(すぐは)を多く採用し、刃中の働きは小沸がよくついています。