「貞宗」は「五郎入道正宗」(ごろうにゅうどうまさむね)から「相州伝」(そうしゅうでん)を継承したため、「相州貞宗」(そうしゅうさだむね)と呼ばれ、通称は「彦四郎」(ひこしろう)と名乗っています。正宗門下に入り、養子となって師の鍛刀術を継承しました。最初は近江国(現在の滋賀県)で刀鍛冶の基本を学び、五郎入道正宗に弟子入り。
入門の経緯については、「鎌倉の鍛冶場を訪れて弟子入りを懇願した」とする説や、「五郎入道正宗が尾張国(現在の愛知県西部)に来ていた際、訪問して弟子入りを懇願した」とする説などがあります。相州貞宗の現存刀で、有銘確実な作例はありません。
しかし、南北朝時代に編纂された「新札往来」(しんさつおうらい)には、「五郎入道、その子彦四郎、一代名人候」と記されており、文献的にも存在が確認できます。
また、在銘作がなくとも相州貞宗の特徴は判明しており、これは、弟子であり「貞宗三哲」(さだむねさんてつ)のひとり、初代「信国」(のぶくに)の在銘品が数多く現存していることがその理由。この信国による作例に比べて、ひと際上手な無銘品が残されているため、これが、貞宗の作品であると推測できるのです。
短刀は寸延びで身幅が広く、「重ね」の薄い先反りになった姿に、「湾れ刃」(のたれば)を基本とした作例が多く見られます。これは「南北朝型」、あるいは「延文・貞治型」(えんぶん・じょうじがた)とも呼ばれる形式です。
なお、貞宗の短刀の見どころは、精緻な地肌が美しく冴えている箇所です。師匠の正宗以上に上手な鍛え方であり、良く詰んでいて肌立たず、青黒く澄んでいます。その深遠な地肌の美しさは、「貞宗肌」と称され、貞宗の作例における最大の魅力です。
正宗との相違は、貞宗肌だけではありません。例えば刃文を見てみると、正宗は波濤(はとう:大きな波)のように、豪壮な作風を得意としましたが、貞宗の刃文は、師匠ほどの豪壮さはなく、落ち着いた趣です。
また「沸」(にえ)の粒子は、正宗の場合は大小不揃いであるが故に目立ちますが、貞宗の作風では、細かい粒子が揃っていて目立ちません。刃中の働きも全体的に穏やかで静的です。
さらには、刀身彫も師匠との大きな相違点があると言えます。正宗もその作例に刀身彫を施しましたが、自身では手掛けていませんでした。
しかし貞宗は、自身が刀身彫の名手だったため、「梵字」(ぼんじ)や剣、「蓮台」(れんだい:蓮の花の形に造られた仏像の台座)など、自ら考案した独特な彫り方で、意匠濃厚な刀身彫を施しました。このように貞宗肌や刀身彫は、偉大なる師匠・正宗と自身を差別化するため、貞宗が考案したとも言われているのです。
現存刀の代表格は「東京国立博物館」(東京都台東区)所蔵で、重要文化財に指定された脇差である「石田貞宗」(いしださだむね)などがあります。
「石田三成」が所持していたことで知られるこの脇差は無銘ですが、貞宗の明らかな特徴が見て取れ、これこそが同工の凄みと言えるのです。