「友成」は平安時代、備前国(現在の岡山県東南部)で作刀に携わった刀工です。通称として「平三郎」(へいざぶろう)や、「権太夫」(ごんだゆう)とも名乗っていました。活動期は、「備前伝」(びぜんでん)の中でも古い時期に当たる「古備前」の頃。
友成は、古備前の代表刀工であり、山城国(現在の京都府南部)の「三条小鍛冶宗近」(さんじょうこかじむねちか)、伯耆国(現在の鳥取県中西部)の「安綱」(やすつな)と並んで、「日本最古の三名匠」と称されています。備前国にあっては、名工「正恒」(まさつね)と共に双璧とされており、「備前鍛冶の祖」、あるいは、同国における「長船[おさふね]鍛冶の祖」などに位置付けされているのです。初代 友成の作刀時期は永延年間(987~989年)の頃。しかし、現存刀で最も古い友成の作例は、康治年間(1142~1144年)、及び仁平年間(1151~1153年)の刀です。
さらに友成の作刀には、二字銘の「友成」や三字銘の「友成作」、「備前国友成」、「備前国友成造」など、異なる銘振りが複数見られます。これらの物証から友成は、同銘の刀工が数代続いていたことが分かるのです。江戸時代の書物「古今銘尽」(ここんめいじんづくし)によると、その具体的な人数は、平安時代後期に2人、鎌倉時代初期に2人の計4人。多少の差異はありますが、作風はほとんどの点で共通しています。
また友成は、日本史上における著名人物の佩刀(はいとう)を多数鍛造したことで有名です。「源義経」や「平教経」(たいらののりつね)、「平宗盛」(たいらのむねもり)、「北条貞時」(ほうじょうさだとき)といった人々が、友成の鍛えた太刀を佩用しています。また、現在の皇室に「御物」(ぎょぶつ)として秘蔵されている「鶯丸」(うぐいすまる)の太刀も、友成によって作刀されました。
さらには、「厳島神社」(いつくしまじんじゃ:広島県廿日市市)の社宝である太刀も友成が手掛け、平教経が奉納しています。同太刀は「鎬造り」(しのぎづくり)の「庵棟」(いおりむね)で、腰反りが高く、踏張りのある堂々たる太刀姿が特徴。平家一門にあって、豪勇で鳴らした平教経の雄姿を彷彿とさせます。
友成の作風は、古備前の中で最も古調であり、刀身は細身で、鋒/切先(きっさき)は小鋒/小切先の形状を採用。地鉄(じがね)は小板目がよく詰む作例と、やや肌立つ作例があり、地中の働きは「地沸」(じにえ)が付いて「地景」(ちけい)が入り、「沸映り」(にえうつり)が立っています。前述した正恒による作刀の明るさとは対照的に、黒味を帯びた地鉄が友成の持ち味です。
刃文は「沸出来」(にえでき)の「小乱」(こみだれ)と、「小湾れ」(このたれ)調の「直刃」(すぐは)に、小乱の入る場合があります。年代が下ると、焼幅に高低の差が見られるようになり、「小丁子」(こちょうじ)が交じるなどして、刀身全体に華やかさが加味されるのが友成の特徴です。