日本刀は戦いで用いる武器としての「機能性」と、自身の嗜好・信仰心を表現するための「芸術性」を兼ね備えた存在であることから、刀装具(とうそうぐ)においても、武器としての強度を保つために頑丈な金属が用いられたり、見た目の美しさを高める目的で水牛の角をはじめとした天然素材が使用されたりしていました。また、意匠にも所有者の思いなど、細やかなこだわりが表れているのです。
刀装具は、その機能性と芸術性を引出すため、素材にも工夫が凝らされていました。ここでは、この刀装具の各素材の機能と美しさに注目してみましょう。
その種類は、鉄や金、銀、銅などの金属をはじめ、銅に金や少量の銀を加えた合金である赤銅(しゃくどう)、銀と銅を合わせた四分一(しぶいち)、銅に亜鉛を20%以上合わせた真鍮(しんちゅう)などの合金素材まで、多岐に亘ります。
高い強度を誇る金属素材ですが、室町時代以降は、馬に騎乗して戦闘行動を取る戦い方から武士自ら戦場を駆け巡る戦法に移行したことで、携帯性に優れた刀の需要が高まり、刀装具においても金属素材を使いつつ薄く加工するなどの軽量化が図られました。
木製の柄の強度を高めるうえで、乾燥させると硬さが増す鮫皮は適した素材であり、加えて鮫肌表面のざらつきが柄を握る際の滑り止めとしての効果を発揮しました。
その華やかな意匠を鉄や金、採掘されたままの粗製の銅で素朴な風合いの山銅(やまがね)、赤銅を加工して表現しました。
一般的に鉄が用いられる中、戦国時代に発展した装いである天正拵(てんしょうこしらえ)では、水牛の角に漆を施した縁・頭が柄に付けられていました。
武士の美意識の変化、江戸時代に実施された派手な刀装に対する制約など時代の変化を経て、刀装具には趣向を凝らした様々な意匠が施されるようになりました。
今回は、刀装具という小さな世界に秘められた、日本伝統の花鳥風月や人々の営みを表現する技法をご紹介します。
刀装具は、刀身を作る刀匠や甲冑などの防具を制作する甲冑工が、依頼に応じて製造を担当していたと言われています。時代の流れとともに武士の美意識が高まったことで、刀装具にも意匠性の高い装飾が求められるようになり、専門的な知識とミリ単位以下の精密な彫金技術を有する専門の職人が誕生しました。
刀身を鞘に収めた際に、刀身が鞘から抜け落ちることを防ぎ、鞘の中で刃が損傷しないよう刀身を鞘の中に固定するはばきを手がける白銀師(しろがねし)や、敵の攻撃から手を守り、自身の手が刀身の方向にすべることを防止するために刀身と柄の境目に取り付けられる鍔を作る鍔師、柄に隠れる刀身の根元部分である茎と柄を留める目貫に装飾を施す目貫師(めぬきし)などが一例として挙げられます。
「象嵌」(ぞうがん)とは、鍔や日本刀の柄の両端に彩る金具の縁と頭の制作に用いられる、彫刻を施した土台となる金属に別の金属をはめ込む技法です。
取り付ける金属の形状に応じて種類が分かれ、立体的な造形に加工した金属をはめ込む「据紋象嵌」(すえもんぞうがん)、土台となる金属表面に凹凸なく平面に取り付ける「平象嵌」などがあります。
「魚々子地」(ななこじ)とは、先端の刃がくぼんだ円形の魚々子地鏨(ななこじたがね)を金属に打ち込み、細かな粒が一面に並ぶ模様を付けます。粒が魚の卵に似ていることからその名が付きました。
鍔や縁・頭、小柄(こづか:携帯用の小刀)などの刀装具にこの装飾が見られます。
刀装具には、動物や昆虫、そして古くから言い伝えられている霊獣など、多彩な生物が描かれています。その意匠は、所有者の趣味嗜好だけでなく、願掛けや意気込みを間接的に表現しているのです。
吉兆の象徴である龍や麒麟(きりん)、鳳凰(ほうおう)などの霊獣、勇ましい姿の獅子や虎をはじめとする猛獣などは、戦いに臨む武士に大変好まれていました。
中には昆虫や魚介といった生き物も刀装具に描かれており、戦いへの意気込みだけでなく、俳句や和歌で詠まれた有名なエピソードを題材にした創作的な物も見受けられます。
刀身と柄の境目に取り付けられる鍔に、立ちのぼる雲に乗り天を目指し飛翔する金色の龍が描かれています。背景には、銀で山頂の雪を表現した富士山や松林をあしらい、富士の風景を表現。龍は中国で伝説の四獣の筆頭格とされる霊獣で、雲をまとって天に昇る姿は縁起の良い画材として好まれていました。
また、富士山は古くから神龍が棲む山と考えられ、江戸前期には漢詩人の石川丈山(いしかわじょうざん)の詩で神龍の存在が詠まれています。
川が流れる竹林で、大きくしなる太い竹に噛み付きのしかかる虎が描かれた鍔です。虎の鋭い眼差しや爪、胴体の縞模様(しまもよう)には金をあしらい、細かな毛並みは鏨(たがね:先端に刃が付いた工具)で線状に削る技法・毛彫り(けぼり)を用いて表現しています。
古代中国において虎は風を司る神聖な存在として考えられていたため、虎は風でしなる竹とともに描かれることは少なくありません。その勇壮な佇まいから武将たちに刀装具の意匠として好まれていました。
小柄に、金のとんぼが立体的に描かれています。羽根の脈は長い線を毛彫りし、胴部には鏨で細かな粒状の模様を打ち込むことで、昆虫の質感を表現。とんぼの左右には菊の花が描かれており、葉に虫食いの跡を刻むなど細やかな描写が特徴です。
とんぼは「勝虫」(かちむし)と呼ばれる縁起物として武士たちに尊ばれ、刀装具の他にも甲冑や様々な武具にもあしらわれました。
武士たちは日頃、武の道の鍛錬と併せて教養を高めていたことで、美しい自然風景に対する愛着や敬意を抱き、刀装具に四季の草花を散りばめるようになりました。小さな刀装具の中にも、植物それぞれの形状や色合い、生命力にあふれた佇まいが表現されています。
日本人は古くから四季折々の草花に風情を感じ、心の拠りどころとしてきました。身近な存在である植物を武士たちは刀装具の繊細かつ美しい意匠として表現し、ときに自らの理想とする生き方と重ね合わせることもありました。
刀身と柄の境目に取り付けられる円形の鍔の四方から、こぶしの形をした蕨(わらび)の新芽である蕨手(わらびて)が伸び、鍔のふちには4輪の桜の花が描かれています。桜の花びらは横方向に広がるように作られ、蕨手同士が接する箇所を浅く掘り下げることで、模様に立体感を与えている点が特徴です。
古来より日本人が春の訪れとともに咲き誇り、その後わずかな期間を経て散っていく桜に特別な感情を抱いていました。
鍔のふちを屈曲させた竹に見立て、ところどころ太くなっている箇所に線を刻むことで節を表現しています。節から内側に伸びる枝には、葉が3~4枚付いており、葉の先端が互いに接するように配置してできた隙間が、日本刀に付属する小刀である小柄を収めるための櫃孔(ひつあな)になるよう工夫されています。
竹は冬場でも緑色が保たれ空に向かって直立している佇まいから、逆境に屈することのない実直な存在として意匠の題材として好まれていました。
日本刀の柄の両端を彩る金具の縁と頭に、牡丹と蝶、菖蒲(しょうぶ)ととんぼが描かれています。中国では、牡丹は富や名声の象徴であり、長寿を表す蝶と並べることで末永い富貴を表わしています。
また、勝虫とも呼ばれる戦の縁起物であるとんぼと並び描かれている菖蒲は、端午の節句に軒先に飾って邪気を払う風習があり、武を重んじる「尚武」と同音であることから武家に尊ばれ、後継ぎである男子の成長や立身出世を祈願する植物として世間に広まりました。
悟りを開いた人物と言える神々や仙人、仏、高僧などは、社会の法則や道徳規範を象徴する存在であり、武士たちにも広く認知され、江戸時代には、刀装具の主な意匠として施されています。
道教の神々や仏教の高僧などの姿を描いた絵画「道釈人物画」(どうしゃくじんぶつが)は、この世の普遍的な法則や根源的存在、道徳規範を伝える作品として、仏教の一派である禅宗とともに鎌倉時代に中国から日本に伝来したと言われています。
その後、日本にその考えが普及し武士の間にも浸透したことから、江戸時代には自身の信仰心を表す意匠として刀装具に描かれるようになりました。
松の樹の下で中国・唐代の禅僧である豊干(ぶかん)と虎が眠っている光景が、刀身と柄の境目に取り付けられる鍔に描かれています。
岩の間に川が流れる清らかな雰囲気と穏やかな表情で眠る豊干と虎が悟りに達した心境を表しています。豊干は、虎を飼い馴らしていたと言われる伝説の存在で、禅の境地を表す画題として扱われていたことから、禅への信仰心の篤い人々に尊ばれていました。
柄に隠れる刀身の根元部分である茎と柄を留める目貫に、月を背景に杖を持ちにこやかに笑う寿老人と鶴、その様子を鹿にもたれかかりつつ眺める福禄寿の姿を表現しています。
金や銀、銅に金や少量の銀を加えた合金である赤銅の他、銅を炭火で熱して丹礬(たんばん)酢の中に入れて作る朱銅(しゅどう)などを用いた彩り豊かな目貫です。
錫杖(しゃくじょう)を持ち袈裟(けさ)に身を包んだ、仏教における最高の悟りに達した聖者である羅漢(らかん)と、湧き上がる雲の中から姿を現す龍が描かれた鍔です。
両者は大きく目を見開きにらみ合っており、怒りの感情をあらわにする龍を従わせようとする羅漢の目や耳、装飾品には金を施すことで、神通力の強さを表現しています。また、金の鮮やかさを印象付けるために、羅漢の肌は銅、錫杖と袈裟には金に銀を混ぜ込んだ青金(あおきん)を使用しています。
日本には、古くから春夏秋冬の季節に応じた人々の生活があり、各季節の節目には様々な行事が行なわれていました。ユーモアを交えながら刀装具に施されている四季折々の情景を題材にする意匠からは、武士と日常生活や四季が密接につながっていたことが分かります。
江戸時代から顕著になった、暮らしに息づく風景や季節の行事を刀装具の意匠に取り入れる風潮は、日本刀が武器としての「機能性」、自身の美意識を象徴する装飾品としての「芸術性」を重視する存在から、生活に対する信条や信仰心を表す物に変化したことが要因として考えられています。
農村の四季の風景を日本刀の柄の両端に彩る金具である縁と頭に表現されています。
一対には縁に牛を使って田を耕す農夫の姿(※1)、頭には冬の枯れた穂と2羽の鶴(※2)が描かれ、もう一対の縁には早乙女(さおとめ:田植えを行なう若い女性)の姿(※3)、頭にはたわわに実る稲穂と案山子(かかし)の様子(※4)が描かれていることから、縁と頭がそれぞれ春・夏と秋・冬の風景を描写していることが分かります。
中国では、皇帝が民の苦労を理解するために農耕・養蚕の工程を「耕織図」(こうしょくず)として描いていたことから、武士が年貢を徴収してきた農民に対する戒めの気持ちをこの縁・頭に込めていると考えられます。
柄に隠れる刀身の根元部分である茎と柄を留める目貫が、初夢に見ると縁起が良いとされる「一富士、二鷹、三茄子」を題材に制作されています。
純度の高い銅である素銅(すあか)を素材とする卵形の一対の茄子には、金の鷹、銀をはめ込み山頂の雪を表現した富士山が描かれており、武士が世間で広まっている風習に対して篤い信仰心を抱いていたことが窺えます。
人家に入ろうとした鬼が軒下に飾られていた柊鰯(ひいらぎいわし)に気付き立ち止まっている様子が、小柄に描かれています。鬼の驚きに満ちた表情や家の外壁の質感、竹格子の丸窓など細部に渡り技巧が凝らされています。
柊は古来、邪気を払う植物として考えられ、節分に用意される柊の枝に鰯の頭を刺した柊鰯で鬼を払う習慣を表現した小柄です。
武士たちは、武道だけでなく芸術分野にも触れていたことから、刀装具の意匠には和歌や俳句などの文芸・伝統芸能に関する事柄も取り入れられています。古くから親しんできた芸術分野への素養を武士たちは自身の美意識と合わせ、刀装具の新たな意匠として昇華していたようです。
武士は、戦乱の世においても見聞を広めるために書物を読み、また神や仏への祈りを捧げることを目的として熱心に和歌を詠むなど、教養を高めるよう努めてきました。武の道を究める一方で、文芸にも深く傾倒し、その密接な関係は、刀装具の意匠にも反映されてきました。時代の流れとともに刀装具に対して実用性より意匠性が求められるようになると、文芸作品を題材にした物も数多く作られ、その世界観が個性豊かに表現されました。
一節の文字を鍔内に筆で書き散らしたような意匠で、散りゆく桜への名残り惜しい心情を表現しています。
萩と川の取り合わせは平安時代末期の勅撰和歌集「千載和歌集」(せんざいわかしゅう)に収録された歌枕「野路の玉川」で詠まれる一節の情景を表現。萩の花は純度の高い金で描かれ、葉には銅に金や少量の銀を加えた合金である赤銅や金に銀を混ぜ込んだ青金、銀を用いて華やかな彩りに仕上げています。
裏面には、平安時代後期の歌人・源仲政(みなもとのなかまさ)が詠んだ月夜を題材にした和歌が彫刻されています。今にも動き出しそうな立体感のあるうさぎと木賊の描写が印象的です。