1560年(永禄3年)5月19日早朝に起きた「桶狭間の戦い」は、戦国史を揺るがす転換期のひとつとして誰もが知る戦いです。20代半ばの「織田信長」が数千騎の兵で、大軍を率いる「今川義元」軍に戦いを挑み見事、大勝利。この勝利には「奇襲作戦が功を奏した」、「悪天候が味方した」、「偶然の勝利だ」と多くの意見が交わされます。しかし、意外にも現在のビジネスマーケティングの手法「ランチェスター戦略」が活用されている面もあるのです。このランチェスター戦略(人・物・情報の集中戦略)が、織田信長とどのようにかかわるのかを解説していきます。
桶狭間の戦いで、織田信長軍が勝つことは想定外のことでした。それがどれくらい予想外で勝ち目がない戦だったのかと言うと、織田軍がたった2,500騎ほどだったことに対して、今川軍はおよそ45,000騎を率いていたからです。
加えて、今川義元は「海道一の弓取り」といった異名を持つほど、織田信長とは戦に関して経験の差がありました。
形勢不利ではあったものの織田信長は、悪天候を利用し精鋭のわずかな手勢で今川義元の本陣に忍び寄り、奇襲攻撃を仕掛けます。今川義元は混戦のなかで討ち死にし、以降、東海地方で権勢を誇っていた名門の今川家は没落。織田家が勢力を強める結果となり、戦国史を大きく塗り替える出来事のひとつとなりました。
この大逆転を果たした桶狭間の戦いで、織田信長が取っていたのがランチェスター戦略だと言われているのです。
「ランチェスター戦略」は、イギリス人の航空工学の研究者「フレデリック・ランチェスター」が、「第一次世界大戦」のときに提唱した戦争理論「ランチェスターの法則」を原点としています。それは「第1法則」と、「第2法則」の2つで構成されているのです。
さらに「第二次世界大戦」の最中に、アメリカ海軍の作戦研究班「クープマン・ベルナード」がランチェスターの法則を応用し、「クープマン・モデル」として「戦争の法則」へと発展させました。
まず第1法則ですが、1対1で戦う「一騎討ち戦」、狭い範囲で戦う「局地戦」、敵と近付いて戦う「接近戦」といった戦闘時に適用されます。
兵力数が同じならば武器性能の高い方が勝ち、同じ武器性能ならば兵力数の多い方が勝つといった考え方。数式にすると「戦闘力=武器性能(質)×兵力数(量)」となります。
つまり敵に勝利するには、敵を上回る武器か兵力数を準備すればいいのです。
そして第2法則では、近代兵器(戦車やマシンガンなど)を使用した「確率戦」、広い範囲で戦う「広域戦」、 敵と距離を取る戦いの「遠隔戦」に適用されます。
集団が複数の敵に同時に攻撃をすることのできる近代的な戦闘で勝利するという考え方。第2法則の数式は「戦闘力=武器性能(質)×兵力数(量)の2乗」となります。
第1法則との違いは兵力数が2乗となること。近代武器を使用した確率戦が相乗効果となり、兵力数が2乗に作用します。
つまり、敵味方の武器性能が同等でも、兵力が多ければ飛び抜けて有利なのです。その反対で、兵力の少ない集団はたとえ第2法則を用いたとしても、勝つことは難しいと言えます。
織田信長が桶狭間の戦いで取ったランチェスター戦略ですが、用いたのは第1法則です。というのも織田信長は、雨の音に紛れながら少数精鋭を率いて、隙を突く形で今川軍の本陣へ攻め入っています。
狙いは大軍全体の瓦解ではなく、大将ひとりを討ち取ることを第一目標としていたのです。今川軍の全体は約45,000騎でしたが、布陣させたことで数は減り、今川義元のいた本陣は5,000騎ほど。さらに織田軍が隙を突いたことで、瞬間的な兵力数は織田軍の精鋭数騎とあまり変わらなかったのではないかと推測されます。
これはまさに、少ない兵力数で立ち向かう第1法則「一騎打ち戦・局地戦・接近戦」に当たるのです。その結果、織田信長は約10倍もの軍勢から勝利を勝ち取ることができたと言えるでしょう。
中国の軍事思想家「孫子」(そんし)は、「自分自身の立場を理解し敵の情勢を把握していれば、幾度戦っても敗れることはない」の意味を持つ「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」といった格言を残しています。孫子の兵法は、戦の陣形や戦術などを収めた戦略論の集大成。中国の武将だけでなく、鎌倉時代や室町時代、戦国時代における武士の必読書でした。
織田信長が、20世紀に提唱されたランチェスター戦略を知っていたとは無論考えられませんが、似たような理論として孫子から学ぶ機会があったのかもしれません。
第一次世界大戦中にフレデリック・ランチェスターが提唱したランチェスターの法則は、第二次大戦後の日本で「田岡信夫」(たおかのぶお)氏によって「ランチェスター戦略」と名付けられ、ビジネスマーケティングにおける「最強の販売戦略」として体系化されます。
田岡信夫氏は、ランチェスターの法則にある第1法則を、少数だけれど他社との差別化で「弱者が勝つための戦略」。第2法則を、すでに市場第1位の企業である「強者が勝つための戦略」としました。
さらにクープマン・モデルをもとに、業界1位以外は弱者となる「シェア理論」が作られます。
弱者が勝つための戦略として「差別化戦略」を、強者が勝つための戦略として「ミート戦略」を5件ずつ考案。これを「5大戦法」と言います。
両者の戦略は、それぞれ対応しており、弱者が勝つための戦略を脱却した中小企業は、今度は弱者の差別化を無効化するために、ミート戦略で市場第1位を保つ作戦を取るようになるという考えです。
弱者が勝つための戦略 差別化戦略 | |
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①局地戦 | 戦うエリア(業種、ジャンル)を絞る |
②一騎打ち戦 | ライバル企業の少ない市場を狙う |
③接近戦 | 顧客ひとりひとりを大切にして親身になる |
④一点集中戦 | 競合他社にはない強みをひとつ持つ |
⑤陽動戦 | ライバル企業の隙を突く |
強者が勝つための戦略 ミート戦略 | |
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①広域戦 | 戦うエリア(業種、ジャンル)を広げる |
②乱戦 | ライバル企業を物量で市場から追い落とす |
③遠隔戦 | 全顧客を平等に満足させる |
④総合戦 | 競合他社に対し多くの強みを持って挑む |
⑤誘導戦 | 自社の有利な状況に持ち込む |
現在の「パナソニック株式会社」や「花王株式会社」、「株式会社イトーヨーカ堂」、「大塚製薬株式会社」など、数多くの企業がランチェスター戦略によって高度経済成長の波に乗り絶大な成果を上げました。
桶狭間の戦いも、まさに織田軍(中小企業)対 今川軍(大企業)の戦いだったと言えます。織田軍勝利の秘訣は、自軍が置かれた厳しい状況を正しく理解し、勝つための分析を行ったことによるもの。それが現代ではビジネスマーケティングに置き換えることができ、何の商品をどんな場所や世代に集中させるかで、市場の差別化を図る指針となっているのです。