明治時代の合戦歴史年表
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明治時代の合戦歴史年表 明治時代の合戦歴史年表
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「明治時代の合戦歴史年表」についてご紹介します。明治時代は1868年(明治元年)の明治新政府樹立から、1912年(明治45年)に明治天皇が崩御するまでの45年間のことです。

この時代には、260年以上にわたって続いた藩を廃止し、新たに明治直轄の県を置く「廃藩置県」(はいはんちけん)や、天皇主権の憲法「大日本帝国憲法」の発布が実施。また欧米諸国に対抗するため、経済の発展と軍事力の強化を目指した「富国強兵」(ふこくきょうへい)が行われました。

その他にも官営模範工場の建設、教育制度、鉄道、郵便なども誕生。日本史においても急速に近代化が進んだ時代でもあります。

一方で新政府軍と旧幕府軍の争いである「戊辰戦争」、旧武士階級による新政府への反乱である「西南戦争」が勃発しました。また日清戦争・日露戦争と2つの戦争を経験した時代でもあります。1912年(明治45年)に明治天皇が崩御し、大正天皇が即位することで、明治時代は終わりを迎えました。

明治時代年表

政権保持者 合戦/主な出来事
1868年~明治政府
1868年 明治政府とは

明治政府」は明治維新(めいじいしん)と呼ばれる政治改革により、1868年(慶応4年)1月に成立した天皇中心の政府です。初期の明治政府には、江戸幕府の倒幕に貢献した薩摩藩(現在の鹿児島県)、長州藩(現在の山口県)の出身者で固められていました。

また近代国家として生まれ変わるために、明治政府の基本方針として「五箇条の御誓文」(ごかじょうのごせいもん)を発布。元号を「明治」と改めます。

また1871年(明治4年)には、中央集権体制の確立を目指した「廃藩置県」を実現させました。

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1877年 西南戦争

西南戦争」(せいなんせんそう)とは、1877年(明治10年)の2月15日から9月24日に熊本、鹿児島で起きた内紛です。武士による最期の反乱となったこの戦いは、明治維新の立役者である「西郷隆盛」(さいごうたかもり)が中心となり、約30,000人の不平士族達が明治政府に対して蜂起しました。

戦いの背景には、西郷隆盛と「板垣退助」(いたがきたいすけ)が主張していた征韓論(せいかんろん:武力によって朝鮮を開国させようとした主張)に対し、「大久保利通」(おおくぼとしみち)や「岩倉具視」(いわくらともみ)らは国内改革を優先するべきだと考え、裁可(さいか:許可を与えること)しなかったことが挙げられます。

不服だった西郷隆盛達は辞職し、鹿児島へ戻って行き場を失った士族達のために私学校を提供。しかし、この行為が明治政府には脅威に映り、西郷隆盛暗殺の計画を企てます。そのため、やむなく西郷隆盛は挙兵。そののち、西郷隆盛が自害することで西南戦争は終わりを告げました。

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1894年 日清戦争

日清戦争」(にっしんせんそう)は1894年(明治27年)7月25日から翌1895年(明治28年)4月17日にかけて、日本と清国(中国)の間で勃発した戦争です。朝鮮への影響力を強めたいと考えていた日本は、朝鮮を属国とみなす清国と対立。やがて朝鮮では日本への反発も強まり、清国へ支援を求めたことが引き金となり、開戦へと繋がりました。

この戦争では、日本が勝利。清国が講和を申し出ることで終戦します。そして1895年(明治28年)に日本と清国の間で「下関条約」が結ばれますが、「遼東半島と台湾・澎湖諸島を日本へ渡す」という内容にロシアが猛反発し、フランスやドイツとともに干渉。これを「三国干渉」と言います。

1902年 日英同盟

日英同盟」(にちえいどうめい)は1902年(明治35年)1月30日に日本とイギリスとの間で結ばれた軍事同盟です。

ロシア帝国の東アジア進出に対抗するため、日本は資金調達や後方支援を期待してイギリスとの協力体制を築こうと考えました。日英同盟は日本が初めて先進国と対等な立場で結んだ条約としても知られています。

日英同盟では「中国・韓国での利権を認める」、「日英のどちらか一方が他国と開戦する場合、もう一方は中立を守る」、「同盟国が2国以上と戦う場合は共同で戦う」という3つの約束が取り交わされました。

1904年 日露戦争

日露戦争」(にちろせんそう)は1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて、日本とロシア帝国の間で勃発した戦争です。

ロシア帝国は満州を占拠し、朝鮮への進出を図って南下政策を行っていました。このままでは自国も植民地にされかねないと恐れた日本は、独立と安全を守るために戦うことを決意。約120,000人もの犠牲を払いながらも、ロシア帝国に勝利します。

1905年(明治38年)、日本とロシア帝国はアメリカ合衆国の斡旋により、ポーツマス条約を締結。この講和条約で日本はロシア領であった樺太(からふと)の南半分を割譲、朝鮮半島における権益を認めさせます。

明治時代の合戦歴史年表
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