【吉宗評判記 暴れん坊将軍】(1978~1982年〔東映京都撮影所〕共同制作〔テレビ朝日〕系列)。主演は松平健。以後、【暴れん坊将軍】の名称で第12シリーズまで続く(~2002年)。同じ主演者による1時間の連続テレビ時代劇としては、2代目・大川橋蔵主演【銭形平次】(1966~1984年〔フジテレビ〕系列)に次ぐ記録。(■テレビ朝日は【遠山の金さん】と【暴れん坊将軍】を2本柱により)
1970年代後半、NHKが「大型時代劇」に「大河ドラマ」の呼称を公式に使用します。その内容もこの時期は、それまでの英雄物語から無名の商人や女性が題材となります。民放におけるテレビ時代劇では、【水戸黄門】がこの時期に印籠の披露が定番化。また、【桃太郎侍】と【新五捕物帳】、【遠山の金さん】と【暴れん坊将軍】、【銭形平次】と【新座頭市】など各局で定番の時代劇が確立します。
1970年代後半、NHK自身がそれまでの「大型時代劇」の呼称からこの頃、「大河ドラマ」、通称「NHK大河ドラマ」の呼称を自社の関連出版物で公式に使用し始めます。
1970年代後半のNHK大河ドラマは、【風と雲と虹と】(1976年)に始まります。原作は、2度目のNHK大河ドラマの原作となった海音寺潮五郎(かいおんじちょうごろう)です。主役の平将門を加藤剛(かとうごう)が演じました。
風と雲と虹とに決定以前、池波正太郎(いけなみしょうたろう)の時代小説【火の国の城】の企画で進行していました。同小説は、加藤清正のもとで働くことを選んだ信州伊那の忍びを主人公とする物語です。加藤清正は豊臣秀吉の家臣でありながら、豊臣家と緊迫する徳川家康との関係にも揺れ、物語ではそのゆらぎが主題です。
けれども、NHK内の調整によってその企画は流れました。そして、加藤剛の希望から平将門が題材となっています(大原誠【NHK大河ドラマの歳月】)。
続く【花神】(1977年)の原作は、3度目のNHK大河ドラマの原作となった司馬遼太郎(しばりょうたろう)です。
4年前の司馬遼太郎原作【国盗り物語】(1973年)と同じ制作陣が題材を選定しました。
戊辰戦争で倒幕軍を指揮し、のちに日本陸軍の創始者となった大村益次郎が主役の物語です。4代目・中村梅之助(なかむらうめのすけ)が演じます。
同作は司馬遼太郎の複数の作品を原作とし、吉田松陰、高杉晋作なども大いに活躍する群像劇でもありました。
NHK大河ドラマの演出に数多くかかわってきた大原誠(おおはらまこと:【樅の木は残った】、【草燃える】、【徳川家康】、【八代将軍吉宗】、【元禄繚乱】にて演出チーフ)は同作の意義を、「大河ドラマは一人の英雄物語、偉人物語、武勇物語を完全に脱皮し、現代とのかかわりにおける時代としてのドラマとなってきたのです」と分析しています(大原誠【NHK大河ドラマの歳月】より)。
続く【黄金の日日】(1978年)は、城山三郎(しろやまさぶろう)の原作と市川森一(いちかわしんいち)の脚本とが、同時に執筆されたオリジナルドラマです。
主役は、戦国時代末期を生きる無名の堺商人・納屋助左衛門です。6代目・市川染五郎(いちかわそめごろう:現2代目・松本白鷗:まつもとはくおう)が演じます。
制作(NHKにおける番組制作責任者)を担当した近藤晋(こんどうすすむ:劇団民藝出身の経歴も持つ)は、「庶民の立場から日本経済の国際化の現実を感じ取ってもらえるように」とその企画意図を晩年のインタビューで振り返っています。
近藤晋は、同作でNHK大河ドラマ初の海外ロケを実施。アングラ劇団のひとつである状況劇場(当時)の根津甚八(ねづじんぱち)、東映の大部屋俳優出身の川谷拓三(かわたにたくぞう)を起用します。それぞれが演じた石川五右衛門、杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅうぼう)は話題となりました。
そして無名の堺商人の脇は、織田信長に高橋幸治(たかはしこうじ)、豊臣秀吉に緒形拳(おがたけん)を配し、両者をこれまでのNHK大河ドラマの当たり役で登場させました。
なお、VTRが高価だった時代、全放送回と総集編がすべて残されるようになったのは、この黄金の日々からとなっています。
そして、永井路子(ながいみちこ)原作【草燃える】(1979年)が続きます。
これまでとりあげていない題材から検討され、足利尊氏や司馬遼太郎【坂の上の雲】などが当初検討されます。けれども、天皇との関係、映像化にかかる制作費、直近の題材との重複などから、鎌倉時代が題材に選ばれました(大原誠【NHK大河ドラマの歳月】)。
鎌倉幕府を描いた草燃えるでは、前半を源頼朝、後半をその妻・北条政子の物語が展開されました。源頼朝は3度目のNHK大河ドラマ主演となる石坂浩二(いしざかこうじ)、北条政子は岩下志麻(いわしたしま)が演じます。
他に、従来の悲劇のヒーローでない描かれ方をした源義経を国広富之(くにひろとみゆき)、源頼朝と北条政子の子・源頼家をアイドル出身の郷ひろみ(ごうひろみ)が演じました。
NHK(現・NHK総合)では、NHK大河ドラマ以外の時代劇、「金曜時代劇」(1965~1978年:金曜午後8時から60分間)を設けていました。
1970年代後半は、田村正和(たむらまさかず)主演、吉川英治(よしかわえいじ)原作【鳴門秘帖】(1977~1978年)に始まりますが、同枠は「水曜時代劇」(1978~1984年:水曜午後8時から50分間)へと移行します。
それは、小山内美江子(おさないみえこ)原作・脚本による江戸時代版の事件記者の物語【早筆右三郎】(1978年)から始まります。主演は、江守徹(えもりとおる)です。
以後、アレクサンドル・デュマ・ペールの代表作を原作に日本の江戸時代前期に時代を置き換えた【日本巌窟王】(1979年)、直木三十五(なおきさんじゅうご)の代表作【南国太平記】を原作とする【風の隼人】(1979~1980年)と続いていきます。
主演はそれぞれ、草刈正雄(くさかりまさお)、勝野洋(かつのひろし)と西田敏行(にしだとしゆき)です。
創作性の高い娯楽作品の多かった金曜時代劇の内容を、水曜時代劇も受け継ぎました。
日本テレビの1970年代の連続テレビ時代劇は、日曜の夜、萬屋錦之介(よろずやきんのすけ)主演、小池一夫(こいけかずお)原作/小島剛夕(こじまごうせき)作画の劇画原作【子連れ狼】シリーズ(1973~1976年〔ユニオン映画〕〔スタジオシップ〕共同製作:日曜午後9時半から55分間)が人気となりました。
同シリーズ終了後は、高橋英樹(たかはしひでき)主演、山手樹一郎(やまてきいちろう)原作【桃太郎侍】(1976~1981年〔東映京都撮影所〕共同制作)が長らく放送されます。
徳川家斉(とくがわいえなり:江戸幕府第11代将軍)の息子(双子の弟)でありながら、双子が忌み嫌われていたことから素浪人として市井に暮らすことになった主人公の物語です。悪党退治の場面で唱える、「一つ、人の世の生き血をすすり」で始まる数え歌が人気となりました。
火曜夜の連続テレビ時代劇のレギュラー枠(1973~1997年:午後8時から55分間)でも1970年代後半は、長く放送される作品が登場します。
杉良太郎(すぎりょうたろう)主演、陣出達朗(じんでたつろう)原作【新五捕物帳】(1977~1982年〔ユニオン映画〕共同製作)です。
父親を悪の刃によって失った過去を持つ目明かし(*町奉行所のために働く町人身分の捜査協力者)・駒形の新五が、庶民を苦しめる悪に挑む物語でした。
1970年代後半の日本テレビでは、高橋英樹と杉良太郎が時代劇の顔となります。
TBS(現・TBSテレビ)は1970年代後半、C.A.L製作による安定した人気の連続テレビ時代劇が続きます。
1969年から続く【水戸黄門】シリーズ、1970年から続く【大岡越前】シリーズ、1973年から続く【江戸を斬る】シリーズが「ナショナル劇場」(月曜午後8時から54分間)で放送されました。
主演はそれぞれ、東野英次郎(とうのえいじろう)、加藤剛(かとうごう)、西郷輝彦(さいごうてるひこ)です。
水戸黄門シリーズにて番組の後半に印籠を披露する場面は、第9部(1978年)以降から定番化されています(金文京【水戸黄門「漫遊」考】)。渥美格之進(通称・格さん)役が2代目となる大和田伸也(おおわだしんや)へ変わった時期です。10年近くかかって定番化されました。
また、水戸黄門・第9部(1979年)の最終回が、シリーズ歴代最高視聴率43.7%を獲得しています。大岡越前も第5部(1978年)の第1話で、江戸を斬るでも第4部(1979年)の第1話で、共にシリーズ最高視聴率を獲得するなど、3本柱が盤石となりました。
この時期からこれら3本の連続テレビ時代劇に、制作協力として東映太秦映像が加わった時期でもあります(1978年)。
1970年代後半は他に、現代劇枠「木下恵介・人間の歌シリーズ」(木曜午後10時から55分間)の終了時、一時的に時代劇を放送します。
子母澤寛(しもざわかん)原作【新選組始末記】(1977年〔TBS〕制作)を、主役の近藤勇を平幹二朗(ひらみきじろう)が演じます。続いて、山本周五郎(やまもとしゅうごろう)の【柳橋物語】を原作とする【おせん】(1977~1978年〔TBS〕制作)を放送。江戸時代を生きる下町の娘を栗原小巻(くりはらこまき)が演じました。
そして、東芝日曜劇場1200回記念として、石井ふく子(いしいふくこ)プロデュース、橋田壽賀子(はしだすがこ)脚本によるオリジナルドラマ【女たちの忠臣蔵 いのち燃ゆる時】(1979年「東芝日曜劇場」)を放送しています。
大石内蔵助の妻・りくを池内淳子(いけうちじゅんこ)が演じています。同作は、最高視聴率42.6%を記録しました。
1970年代後半に生み出されたTBSのテレビ時代劇の数々は、テレビ番組史上に残る記録となっています。
NETテレビの1970年代後半は、局名がテレビ朝日へ改称された時期です(1977年)。
同局の1970年代後半の連続テレビ時代劇は、木曜夜のレギュラー枠に加えて、土曜の夜、火曜の夜、日曜の夜で新たに放送します。
まず、「木曜時代劇」(1975~1985年:木曜午後8時から55分間)では、杉良太郎主演、陣出達朗原作【遠山の金さん】(1975~1977年〔東映京都テレビプロ〕共同制作:木曜午後8時から55分間)が引き続き放送されます。
以後、次の内容が放送されました(木曜午後8時から54分間)。
【達磨大助事件帳】(1977~1978年〔前進座〕〔国際放送〕共同制作)、城昌幸(じょうまさゆき)原作【若さま侍捕物帳】(1978年〔前進座〕〔国際放送〕共同制作)、石ノ森章太郎(いしのもりしょうたろう)の劇画原作【風鈴捕物帳】(1978~1979年〔東映太秦映像〕共同制作)、陣出達朗原作【遠山の金さん】(1979年〔東映京都テレビプロ〕共同制作)、【長七郎天下ご免!】(1979~1982年〔東映京都テレビプロ〕共同制作)と続きます。
主演はそれぞれ、4代目・中村梅之助、田村正和、西郷輝彦、杉良太郎、里見浩太朗です。
そして、連続テレビ時代劇の伝統枠だった「土曜時代劇」(1967~1971年:午後8時から54分間)を復活させます(1976~1998年)。
葉村彰子(はむらしょうこ)原案【五街道まっしぐら!】(1976年〔東映京都撮影所〕共同制作)に始まります。主演は、村野武範(むらのたけのり)です。
以後、【駆けろ!八百八町】(1977年〔東映京都撮影所〕共同制作)、横溝正史(よこみぞせいし)原作【人形佐七捕物帳】(1977年〔東映京都撮影所〕共同制作)、【吉宗評判記 暴れん坊将軍】(1978~1982年〔東映京都撮影所〕共同制作)を放送しました。
主演はそれぞれ、村野武範、松方弘樹(まつかたひろき)、松平健(まつだいらいけん)です。
なかでも、徳川吉宗(江戸幕府第8代将軍)が江戸で徳田新之助と名乗って正体を隠し、庶民のために生きる物語、吉宗評判記 暴れん坊将軍は、【暴れん坊将軍】の名称で第12シリーズまで続く人気作品になります(~2002年)。同じ主演者による1時間の連続テレビ番組としては、2代目・大川橋蔵(おおかわはしぞう)主演、野村胡堂原作【銭形平次】(1966~1984年〔フジテレビ〕系列)に次ぐ記録となります。
さらに火曜の夜にも、連続テレビ時代劇を復活させます(1977~1982年:火曜午後9時から54分間)。
【破れ奉行】(1977年〔中村プロ〕共同制作)に始まります。主演は、萬屋錦之介です。
以後、【江戸の鷹 御用部屋犯科帖】(〔三船プロ〕共同制作)、【破れ新九郎】(〔中村プロ〕共同制作)、岡本綺堂(おかもときどう)原作【半七捕物帳】(〔歌舞伎座テレビ〕共同制作)、【江戸の牙】(〔三船プロ〕共同制作)を放送しました。
主演はそれぞれ、三船敏郎、7代目・尾上菊五郎(おのえきくごろう)、天知茂(あまちしげる)です。
なかでも、破れ奉行と江戸の鷹 御用部屋犯科帖では、池田一朗(いけだいちろう)こと、のちの時代小説家・隆慶一郎(りゅうけいいちろう)が主要な回の脚本を担当。破れ新九郎では原案から手がけました。
また、日曜夜でも連続テレビ時代劇(1968~1970年、1973~1975年)を復活します(1978~1979年:日曜午後8時から54分間)。
ジョージ秋山(じょーじあきやま)の青年漫画原作で倉本聰(くらもとそう)が脚本を手がけた【浮浪雲】(1978年〔石原プロ〕共同制作)に始まります。
主演は、渡哲也(わたりてつや)です。時代劇らしからぬ、はちゃめちゃな内容に仕上げた浮浪雲は、第16回ギャラクシー賞・選奨を獲得しています。
以後、葉村彰子原案【おはなちゃん繁昌記】(1978年〔ホリプロ〕共同制作)、陣出達朗原作【半七捕物帳】(1979年〔前進座〕〔国際放送〕共同制作)を放送します。主演はそれぞれ、森昌子(もりまさこ)、4代目・中村梅之助です。
けれども、全3作品で同枠は現代劇枠となりました。
1979年は、テレビ朝日開局20周年でした。
この年、大佛次郎(おさらぎじろう)原作【赤穂浪士】(1979年〔東映京都撮影所〕〔中村プロ〕共同制作:日曜午後9時から54分間「テレビ朝日開局20周年記念番組」)の連続テレビ時代劇を放送しました。主演は、萬屋錦之介です。
フジテレビは1970年代後半も、2代目・大川橋蔵(おおかわはしぞう)主演、野村胡堂原作【銭形平次】(1966~1984年〔東映京都テレビプロ〕共同制作:水曜午後8時から56分間)を引き続いて放送します。
木曜夜の連続時代劇枠でも、人気シリーズが続きます(1973~1982年:木曜午後9時から54分間)。
加山雄三(かやまゆうぞう)主演、島田一男(しまだかずお)原作【同心部屋御用帳 江戸の旋風】(1975年〔円谷プロ〕制作協力・〔東宝〕共同制作)は、人気シリーズとなりました(~1980年)。
月曜の夜は、勝新太郎(かつしんたろう)のプロダクションが手がけます(午後9時から54分間)。
勝新太郎主演【痛快!河内山宗俊】(1975年〔勝プロ〕製作)以後、藤田まこと(ふじたまこと)主演【夫婦旅日記 さらば浪人】(1976年〔勝プロ〕共同制作)、そして子母澤寛原作【新・座頭市】シリーズ(1976~1979年:〔勝プロ〕制作)と続きました。
その間、同枠では小川真由美(おがわまゆみ)主演の人気シリーズに位置する【ご存知女 ねずみ小僧】(1977年〔C.A.L.〕企画・〔松竹〕共同制作)も放送しています。
東京12チャンネル(現・テレビ東京)は1970年代後半、連続テレビ時代劇に本格的に力が入れられます。
水曜夜に連続テレビ時代劇枠を設けます(1977~1983年:午後9時から54分間)。
フジテレビで放送して人気を博した中村敦夫(なかむらあつお)主演、笹沢左保(ささざわさほ)原作による新シリーズ【新・木枯し紋次郎】(1977~1979年〔C.A.L〕〔映像京都〕共同製作)に始まりました。
TBSで、水戸黄門シリーズ、大岡越前シリーズ、江戸を斬るシリーズの製作を手がけるC.A.Lが、フジテレビ版に続いて共同制作を担います。
以後、葉村彰子原案【柳生十兵衛】(1978年〔C.A.L〕共同製作)、大岡越前シリーズのスピンオフ(派生作)となる葉村彰子原案【疾風同心】(1978~1979年〔C.A.L〕共同製作)、とそのシリーズ【八丁堀あばれ軍団】(1979年〔C.A.L〕共同製作)を放送しました。
主演はそれぞれ、原田大二郎(はらだだいじろう)、和田浩治(わだこうじ)です。
C.A.L以外でも同枠は、オムニバス【日本名作怪談劇場】(1979年〔東京12チャンネル〕他制作)、4代目・中村梅之助主演【そば屋梅吉捕物帳】(1979~1980年〔前進座〕製作協力・〔国際放映〕共同製作)と続いていきます。
また、東京12チャンネル(現・テレビ東京)は1970年代後半、平日昼に再放送枠「時代劇アワー」(1977~2008年)をスタート。近年まで続きました。
朝日放送(現・朝日放送テレビ)は、池波正太郎原作【必殺仕掛人】(1972~1973年〔京都映画〕制作協力・〔松竹〕共同制作:土曜午後10時から55分間)、中村主水を主人公にした藤田まこと主演【必殺仕置人】(1973~1974年〔京都映画〕制作協力・〔松竹〕共同制作)以後、【必殺】は人気シリーズとなっていました(金曜午後10時から54分間)。
1970年代後半は、藤田まこと主演【必殺仕業人】(1976年)に始まります。
以後、緒形拳主演【必殺からくり人】(1976年)、山崎努(やまざきつとむ)主演【必殺からくり人・血風編】(1976~1977年)が続きます。
そして、「新」と付けられたシリーズも始まります。
藤田まこと主演【新・必殺仕置人】(1977年)、近藤正臣(こんどうまさおみ)主演【新・必殺からくり人】(1977~1978年)です。
以後も、藤田まこと主演【江戸プロフェッショナル・必殺商売人】(1978年)、山田五十鈴(やまだいすず)主演【必殺からくり人・富嶽百景殺し旅】(1978年)、中村敦夫主演【翔べ! 必殺うらごろし】(1978~1979年)、藤田まこと主演【必殺仕事人】(1979~1980年)と続いていきます。
必殺仕事人では、同作から参加した三田村邦彦(みたむらくにひこ)が人気となります。監督は、工藤栄一他です。
この時期、TBS(現・TBSテレビ)の系列局であった朝日放送(現・朝日放送テレビ)はその系列を解消。テレビ朝日の系列局となります。同時に毎日放送がTBSの系列と入れ替わりました。
その結果、人気の必殺シリーズが放送されなくなったTBSは、毎日放送に【影同心】(〔東映京都テレビプロ〕共同制作)シリーズを依頼します。昼間はうだつのあがらない同心達が裏では悪を退治する物語です。
シリーズ主演は、山口崇・渡瀬恒彦・金子信雄(かねこのぶお)と、浜木綿子(はまゆうこ)・黒沢年男(くろさわとしお)・水谷豊(みずたにゆたか)・山城新伍(やましろしんご)です。
毎日放送では続いて、三船敏郎主演【隠し目付参上】(1976年〔三船プロ〕共同制作)と中村敦夫主演【江戸特捜指令】(1976~1977年〔三船プロ〕共同制作)も放送します。両作共に、隠し目付が指令を受けて悪を斬る物語です。
フジテレビ系列の関西テレビでは1970年代後半、火曜の夜を再び連続テレビ時代劇枠とします(1978~1985年:午後10時から54分間)。
それは、開局20周年記念番組【柳生一族の陰謀】(1978~1979年〔東映京都撮影所〕共同制作)に始まります。柳生十兵衛を主人公に父・柳生但馬守(徳川将軍家兵法指南役)との対立劇を描いた同名の映画版(〔東映〕配給)と同時製作でした。主演は千葉真一(ちばしんいち)。監督は映画版とテレビ版の一部を共に深作欣二(ふかさくきんじ)が手がけます。
同作には、天地茂主演、池波正太郎原作【雲霧仁左衛門】(1979年〔松竹〕共同制作)が続きます。前年、仲代達矢(なかだいたつや)主演、五社英雄監督による同名の映画版を公開していました(〔松竹〕配給)。
以後、陣出達朗原作【騎馬奉行】(1979~1980年〔東映東京撮影所〕共同制作)を放送。主演は、6代目・市川染五郎(現2代目・松本白鸚)です。
1970年代後半の関西テレビでは、連続テレビ時代劇と映画版とのメディアミックスが特徴でした。
1970年代後半のテレビ時代劇は、民放では1970年代に興ったアウトロー作品が引き続き数多く制作されました。なかでも関西の放送局では、必殺シリーズの模倣作品や、映画版とのメディアミックス作となる柳生一族の陰謀などが生まれました。首都圏の民放では遠山の金さんと暴れん坊将軍など定番の時代劇が確立した時代ともなりました。NHK大河ドラマでは、それまでの英雄物語から無名の商人や女性が題材となったように、正統派の勧善懲悪の物語以外が浸透しました。