「日本三大大鎧」とは、日本に現存する甲冑(鎧兜)のうち、特に歴史的な価値が高く、美術工芸品としての水準も優れた物と評価される、平安時代後期に作られた3領の「大鎧」(おおよろい)、①「赤糸威大鎧」、②「小桜韋威大鎧」、③「紺糸威大鎧」を指す言葉。「日本三大鎧」とも呼ばれ、3領はすべて国宝に指定されています。
「日本三大大鎧」という言葉が使われた古い例に、1966年(昭和41年)に青梅市が発行した「定本市史 青梅」が上げられます。その中で武蔵御嶽神社所蔵の赤糸威大鎧を解説する箇所に、次のくだりがあります。
(前略)
「大鎧」(おおよろい)あるいは「式正鎧」(しきしょうのよろい)といわれるもので、平安時代末期もしくは鎌倉時代初期の製作で、全国的にみても稀有の名品である。
同様式の遺品としては、愛媛県大三島の大山祇神社の紺糸威鎧、および広島県厳島神社の小桜威鎧があるのみで、これを俗に「日本三大鎧」といっている。(以下略)
―「定本市史 青梅」p. 589
なお、日本三大大鎧という言葉が登場する前の1928年(昭和3年)に、日本甲冑の研究家である「山上八郎」(やまがみはちろう、1902~1980年)が著した「日本甲冑の新研究」にも、源平合戦の頃の甲冑についての記述で、上記大鎧3領を高く評価した部分が存在しています。
(前略)
其の後保元・平治を経て源平争覇の頃に及ぶようになっては、大鎧は全く完成して其の絶頂に達し、非常な優品すら見るに至った。厳島・御嶽・大三島等に現存しているものは正しく当代の産物である。(以下略)
―「日本甲冑の新研究 上」p. 139
「厳島・御嶽・大三島」は、それぞれ厳島神社所蔵の小桜韋威大鎧、武蔵御嶽神社所蔵の赤糸威大鎧、そして大山祇神社所蔵の紺糸威大鎧を指しており、日本甲冑の新研究で取り上げられた3領の大鎧をまとめて表現する語として、いつしか日本三大大鎧がつくられたとも考えられるのです。
それでは、日本三大大鎧をそれぞれ見ていきましょう。
広島県廿日市市の厳島に鎮座する厳島神社が所蔵する甲冑類のうち、特に古く重要なのが「小桜韋威大鎧」。
社伝では平安時代後期の武将「源為朝」(みなもとのためとも)が所用したとされます。
本大鎧に使われる「小札」(こざね)は現存する甲冑の品中でも最大級のサイズで、軍記物語に登場する「大荒目[おおあらめ]の鎧」という言葉がふさわしい雄大な造形です。
瀬戸内海に浮かぶ愛媛県今治市の大三島内の大山祇神社には、中世の甲冑が多数奉納されました。
なかでも特に時代が古い「紺糸威大鎧」は、平安時代末期の武将で水軍を率いた「河野通信」(こうのみちのぶ)が納めたと言われ、その胴の裾広がりな形状は、馬上で弓矢を射合う戦法の下で発達した大鎧の特徴をよく示しています。