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有名な古墳の中を探索してみよう!
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有名な古墳の中を探索してみよう! 有名な古墳の中を探索してみよう!
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古代日本において、盛んに巨大な墓が築造された時期がありました。それが、弥生時代と飛鳥時代の間に存在した古墳時代です。国家の芽生えとも言えるクニが誕生した時期に重なり、各地の豪族達がその財力を誇示するように古墳を築造。特に巨大古墳の多くは、その当時の天皇陵だと伝えられますが、皇室の私的な墓であるという理由からほとんど発掘調査が行われていません。そのため実際の埋葬者、内部の構造、築造年代など、いまだ多くの謎が残されており、歴史愛好家の関心を大いに集めています。

古墳とは

前方後円墳(大仙古墳)

前方後円墳(大仙古墳)

弥生時代に続く3~7世紀までの古墳時代に日本各地で建造された「墳丘墓」(ふんきゅうぼ:土や石を積み上げて丘のようにした墓のこと)を古墳と呼びます。その地方の豪族や支配者を埋葬するための墓で、権力の象徴でもありました。

古墳の大きさや形状はバラエティに富んでいますが、最も有名なのは日本特有の「前方後円墳」(ぜんぽうこうえんふん:円と四角を連結させた形の古墳)です。上空から見るとまるで鍵穴のように見えるのが特徴で、巨大な古墳はほとんどがこの形で造られていました。

その他、丸いドーム型の「円墳」(えんふん)や、6世紀末以降に主流となった四角形の「方墳」(ほうふん)などがあります。いずれも内部に遺体を納めた棺(ひつぎ)が埋葬され、副葬品として、土器や勾玉(まがたま:鉱物製の装身具で、ひもを通して首飾りなどにされた)なども納められていました。

また、古墳の周囲には様々な形状の素焼きの埴輪(はにわ)が並べられ、葬送の儀式に用いたと考えられています。古墳時代の約400年間に、このような古墳が200,000基以上も建造されていたのです。

古墳と言えばココ!百舌鳥・古市古墳群

百舌鳥・古市古墳群

百舌鳥・古市古墳群

2019年(令和元年)7月にユネスコの世界文化遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」(もず・ふるいちこふんぐん)は、大阪府堺市の「百舌鳥エリア」と、大阪府羽曳野市と藤井寺市にまたがる「古市エリア」に分けられます。

それぞれ4km四方の範囲に合計で89基もの多種多様な古墳が密集しているのが特徴で、そのうちの49基が世界遺産に登録されました。

なかでも百舌鳥エリアにある「大仙古墳」(だいせんこふん)は、全長486m高さ33.9mの墳丘を持ち、3重の濠に囲まれた世界最大級の墳墓。かつては第16代「仁徳天皇」(にんとくてんのう)が埋葬されていると考えられていたため「仁徳天皇陵古墳」(にんとくてんのうりょうこふん)と呼ばれていましたが、学術的には埋葬者は明らかになっていません。

この古墳からは、江戸時代に後円部より長さ3.18m幅1.67mの巨大な石棺が、1872年(明治5年)には前方部からも石棺が掘り出されています。前方部の石棺は、丸石が積み上げられた壁と3枚の天井石に囲まれた竪穴式石室に納められていました。その他、甲冑や鉄刀、銅鏡、埴輪、須恵器(すえき:古墳時代に朝鮮半島から伝わった陶質土器)などが発見されています。

この大仙古墳に次ぐ大きさを誇るのが、古市エリアに位置する「誉田山古墳/応神陵古墳」(こんだやまこふん/おうじんてんのうりょうこふん)です。やはり埋葬者は定かではなく、伝承に基づき第15代「応神天皇」(おうじんてんのう)の墳墓であるとされています。

1500年前の鉄剣が出土!埼玉古墳群

墳丘の全長が100mを超える前方後円墳3基を擁する「埼玉古墳群」(さきたまこふんぐん:埼玉県行田市)は、8基の前方後円墳と1基の円墳が残る、全国でも有数の大型古墳群。5世紀後半~7世紀中期にかけて築造され、前方後円墳の構造に共通点が多く、規格化されたと推測される点が特徴です。

最も大きな物は「二子山古墳」(ふたごやまこふん)で、周囲を取り巻く濠から1mを超える円筒形の埴輪が多数出土。2017年(平成29年)にはレーダーを用いた調査により、後円部に横穴式石室らしき反応が確認されています。

また、埼玉古墳群で最も古い「稲荷山古墳」(いなりやまこふん)では、1968年(昭和43年)の発掘調査で後円部にある埋葬施設の中から1500年以上前の鉄剣が出土。この鉄剣には、金を施した漢字で表面に57文字、裏面に58文字の銘文が刻まれていたため、「金錯銘鉄剣」(きんさくめいてっけん)と名付けられました。

銘文に記されていたのは「辛亥年に護衛隊長として獲加多支鹵大王(わかたけるおおきみ)に仕えたことを記念して刻む」という記録で、辛亥年(しんがいねん)が西暦471年にあたることから、獲加多支鹵大王は当時の第21代「雄略天皇」(ゆうりゃくてんのう)と考えられ、雄略天皇は考古学的に実在がほぼ確定した最初の天皇となったのです。

そののち、1873年(明治6年)に「江田船山古墳」(えたふなやまこふん:熊本県和水町)で発見されていた鉄剣の「獲□□□鹵大王」という記述も獲加多支鹵大王を指すとする説が有力となり、当時の支配者が関東から九州までを平定していたことが裏付けられました。古代史の解明に大きく貢献したこの鉄剣は、1983年(昭和58年)国宝に指定。消失していた墳丘部分も復元整備が進められ、稲荷山古墳の頂上に登ると埼玉古墳群を見渡すことができます。

鮮明な壁画を見学できる高松塚古墳とキトラ古墳

古墳時代末期に築造された有名な古墳としては、奈良県の明日香村にある「高松塚古墳」(たかまつづかこふん)と「キトラ古墳」が挙げられます。

高松塚古墳は直径23mの2段式円墳で、埋葬者は分かっていません。石室に安置されていた棺は漆塗りの木棺で、石室は凝灰岩(ぎょうかいがん)を切り出した石材を組み立てた構造。対して、キトラ古墳はひと回り小さい2段式円墳で、こちらも確かな埋葬者は分かっていませんが、副葬品や木棺に残る豪華な装飾の痕跡などから、かなり身分の高い人物だということが推察されています。

高松塚古墳の壁画

高松塚古墳の壁画

両古墳の最大の特徴は、石室に描かれた鮮やかな壁画です。高松塚古墳の壁画が発見されたのは1972年(昭和47年)。当時マスコミをにぎわす一大ニュースとなったことをきっかけに、地域住民からの情報提供で発見されたのがキトラ古墳の壁画でした。

どちらの古墳も石室の壁には朱雀(すざく)、青龍(せいりゅう)、玄武(げんぶ)、白虎(びゃっこ)の四神(しじん)像が描かれていますが、なぜかキトラ古墳の白虎は通常とは逆の北を向いていることが話題に。また天井に描かれている星空も、高松塚古墳がデザイン化した「星宿図」(せいしゅくず)であるのに対し、キトラ古墳では精密な描写がされており、現存する世界最古の科学的な天文図とも評されています。

他にも高松塚古墳では男女の群像が描かれていますが、キトラ古墳では「獣頭人神十二支像」(じゅうとうじんしんじゅにしぞう:十二支を表す動物の頭に人間の体を持った像)が描かれるなど、様々な違いがある点にも注目です。

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