古くから日本では様々な庭園が造られてきましたが、現代において日本庭園には「三大様式」と呼ばれる3つの有名な様式があります。室町時代、茶の湯(ちゃのゆ)の発展とともに生み出された「露地」(ろじ)も、三大様式のひとつです。露地を含む日本庭園の三大様式と、他の様式とは異なる露地の特長と魅力、世界的に有名な5つの露地庭園について見ていきましょう。
日本庭園の三大様式とは、「池庭」(いけにわ)、「枯山水」(かれさんすい)、「露地」の3つのこと。
池庭は、日本庭園で最も多く造られている様式。日本では奈良から京都へ都が遷った8世紀末頃から、池を用いた庭園が造られるようになり、天皇や公家達は池を海に見立てて、広大な庭に自然風景を表現しました。池は日本庭園の中心となり、池の周りを回遊して庭園を楽しむ「池泉回遊式庭園」(ちせんかいゆうしきていえん)といった様式も生まれています。
2つ目の枯山水は、室町時代に禅宗寺院で誕生した様式。白砂や石を用いて水の流れを表現する様式で、「石庭」(せきてい)とも呼ばれます。京都の寺院には枯山水の庭園が多く現存しており、海外の観光客にも人気です。
3つ目が、枯山水と同時期に生まれた露地。茶庭を意味する露地は、池庭や枯山水のように広大な敷地に大規模な庭園として造られる様式とは異なり、簡素な「侘び寂び」を感じさせるのが特長です。露地は、三大様式のなかでも、特に茶の湯に基づく日本独自の精神性を感じられる庭園となっています。
島根県安来市にある「足立美術館」は、アメリカの日本庭園専門誌で10年以上連続1位に選出されている日本庭園が有名。創設者は同市出身の実業家「足立全康」(あだちぜんこう)で、「庭園もまた一幅の絵画である」という信念を掲げて日本一の庭園を築き上げました。
50,000坪にも及ぶ広大な庭園には、昭和の名作庭家「中根金作」(なかねきんさく)や京都の名工「小島佐一」(こじまさいち)など、日本を代表する作庭家によって造られた、枯山水・池庭・露地・苔庭などが楽しめます。日本画のように美しい庭園では、各様式の魅力を楽しむことができ、国内外から多くの観光客が訪れる観光スポットです。
京都市東山区にある「青蓮院門跡」(しょうれんいんもんぜき)は、露地庭園が有名な天台宗の寺院。代々皇室関係者が住職を務めた京都の「天台宗三門跡」(てんだいしゅうさんもんぜき)のひとつで、江戸時代には皇室最後の女帝である「後桜町上皇」(ごさくらまちじょうこう)の仮御所となり、「粟田御所」(あわたごしょ)と呼ばれました。
格式高い寺院の境内には様々な庭園があり、室町時代の「相阿弥」(そうあみ)作と伝わる水庭の他、戦国時代の大名茶人「小堀遠州」(こぼりえんしゅう)作と伝わる「霧島の庭」、遠州流の茶人「大森有斐」(おおもりゆうひ)作の露地庭園などを楽しめます。
露地庭園の先にある茶室「好文亭」(こうぶんてい)は後桜町上皇が御学問所としていた建造物。毎年春と秋に一般公開が行われており、露地庭園とともに貴重な茶室が拝観できます。
京都市上京区にある「表千家不審庵」(おもてせんけふしんあん)は、「千利休」(せんのりきゅう)を祖とする千家流茶道の本家である表千家の茶室です。
かつて、不審庵は「豊臣秀吉」が建てた「聚楽第」(じゅらくだい:現在の京都市上京区)城下の千利休の屋敷にあり、千利休の自刃後に千家2代目「千小庵」(せんのしょうあん)によって現在地に再興され、露地が造られました。
不審庵へ進む露地は、外露地(そとろじ)・中露地(なかろじ)・内露地(うちろじ)から構成される三重露地(さんじゅうろじ)となっており、露地門から中門である中潜(なかくぐり)を抜けて、その奥にある「梅見門」(ばいけんもん)をくぐると内露地です。内腰掛と砂雪隠(すなせっちん:内露地に置かれる観賞用便所)が配置されており、躙口(にじりぐち:茶室の出入り口)前にあるつくばいで使われている水鉢は、千小庵の時代から使われてきた物だと言われています。
表千家の家元邸宅のため、一般公開はされていません。
京都市北区にある「狐篷庵」(こほうあん)には、小堀遠州による「綺麗寂び」(侘び寂びの精神に美しさや品性を加えた美的概念)の世界が表現されている貴重な露地庭園があります。
狐篷庵は臨済宗の「大徳寺」(京都市北区)に数多くある塔頭(たっちゅう:大寺の高僧が亡くなった際、弔うために弟子によって建てられる独立寺院など)のひとつで、小堀遠州が建立した庵です。
小堀遠州は、1643年(寛永20年)に狐篷庵を晩年の地とするため現在地に移し、亡くなるまでの約5年間に露地庭園を完成させました。露地には「露結」(ろけつ)と刻まれたつくばいや、小堀遠州好みの石灯籠が置かれており、小堀遠州の斬新な露地意匠が特長です。
通常は一般公開されていませんが、数年に1回の頻度で特別公開が行われています。
日本最大の禅寺として知られる「妙心寺」(みょうしんじ:京都市右京区)の「大法院」(だいほういん)にあるのが、江戸時代に作庭された露地庭園です。
大法院は松代藩(まつしろはん:現在の長野県長野市)の初代藩主「真田信之」(さなだのぶゆき)の孫娘「長姫」(おさひめ)が、真田信之の遺命を受けて菩提寺として創建しました。
妙心寺境内の奥深くに位置し、苔や緑に包まれる静寂な空間となっています。4畳半の草庵風茶室「有隣軒」(ゆうりんけん)に続く露地は、外露地・中露地・内露地に分かれた三重露地。秋には紅葉が露地を赤く彩り、四季折々の風情を感じられる露地庭園です。
普段は一般公開されていませんが、毎年春と秋に特別公開が行われています。