「古墳時代」(3~7世紀)のわずか400年ほどしか作られることがなかった「埴輪」(はにわ)は、素朴な素焼きの土器でありながら、その強い生命力にあふれた造形美で私達現代人を魅了してやみません。多種多様な埴輪の一つひとつから、1,400年前の人々の暮らしを感じ、築き上げた社会と文化を垣間見ることができます。ユニークな埴輪について見ていきましょう。
埴輪とは、古墳時代に作られた赤茶色をした素焼きの土器のこと。この時代に築造された豪族などを埋葬するための古墳で大量に発見されていることから、死者の霊を弔う祭祀に用いたと考えられています。
埴輪の起源は、弥生時代(紀元前10世紀~紀元後3世紀中頃)の終わりに誕生した、葬送用の壺とそれを載せる器台でした。ここからまず円筒形の埴輪が発生し、4~5世紀頃からは甲冑や盾(たて)といった物の形を模したり、家や人物をかたどったりした埴輪も作られるようになったのです。
作り方は、最もシンプルな「円筒形埴輪」(えんとうけいはにわ)の場合、ひも状にこねた粘土を積み上げて表面を指やヘラなどで平らに整え、その上に細い粘土のひもを数本巻き付けて乾燥させてから窯などで焼成します。複雑な形状の埴輪では、パーツごとに焼成してから組み合わせて作ったと推測され、埴輪の製造に携わる専門家集団が存在したと考えられているのです。
古墳時代の初期から作られていた円筒形埴輪は、一見すると壺のように見えますが、実は底のない土管のような形状。側面に丸や四角形などの透かし穴が開けられているのが一般的です。「メスリ山古墳」(奈良県桜井市)で発見された日本最大級の円筒形埴輪は高さが2.4mもあり、透かし穴は逆三角形になっています。
また、円筒形埴輪の派生形として上部がアサガオの花のように広げられたタイプも各地で見られ、その形状から「朝顔形円筒形埴輪」(あさがおがたえんとうけいはにわ)と名付けられました。
これらの円筒形埴輪を古墳の盛り土に沿って整然と並べることで、聖域である古墳とその外との境界を示すとともに、墳丘が崩れることを防止する役割もあったと考えられています。
時代が進むにつれて埴輪作りの技術が進歩すると、日常の様々な事物を模した具象的な埴輪が増加。これは円筒形埴輪に対して、「形象埴輪」(けいしょうはにわ)と呼ばれます。
初期の形象埴輪のモチーフは家や武具、冠などでした。これらは埋葬者の財力や権威を示すだけでなく、死後も悪霊や災難から埋葬者を守る役割が期待され、墳丘の中央に家形埴輪(いえがたはにわ)を置き、その周囲を取り囲むように円筒埴輪などの形象埴輪を配置して祭祀が行われたと考えられています。
中期から後期になると、動物や人間など、より精巧な埴輪が製作されるようになりました。動物の埴輪は鳥、馬、猪、鹿などの身近な動物を再現。人間では巫女(みこ)と思われる女性の埴輪が多く、男性の埴輪は装束などで武人や様々な職業を表していました。どの埴輪も生命力にあふれ、当時の人々の様子が伝わる、たいへん貴重な史料となっています。
バリエーション豊かな人物埴輪から、ユニークなポーズの埴輪をいくつか見ていきましょう。
「踊る人々」は埼玉県熊谷市にある「野原古墳群」(のはらこふんぐん)から出土した2体の人物埴輪で、別名を「踊る男女」と呼ばれます。
1930年(昭和5年)に農地を開墾していた人が偶然発見し、現在は「東京国立博物館」(東京都台東区)が所蔵。
高さは大きいほうが64.1㎝、小さいほうが57㎝ですが、小さいほうの頭部に当時の男性の髪型である「角髪」(みずら)を思わせる装飾があるため、こちらが男性だと考えられています。人体を極限まで単純化しながらも、右腕を前に出し、左腕を肩越しに振り上げ、今にもクルクルと舞い踊りそうな躍動感は「踊る人々」と呼ぶにふさわしい造形です。
近年の研究では、片腕を上げ、腰に鎌を装備し、頭の両サイドに振り分け髪があるなどの要素が、他の馬飼いの埴輪と共通することが判明し、この2体は左手に馬の手綱を握った馬飼いであるとする説が有力となっています。
様々なポーズがある埴輪の中でも、ひときわ目を引くのが土下座をしているように見える「跪坐の男子」(きざのだんし:跪座とはひざまづいている状態のこと)です。
出土したのは、古墳王国と言われる群馬県太田市にある「塚廻り古墳群」(つかまわりこふんぐん)。現存している古墳は4基の「帆立貝式前方後円墳」(ほたてがいしきぜんぽうこうえんふん:古墳時代中期に多い形式で、前方部が短小化して帆立貝のように見える)を含む7基からなる古墳群です。
この埴輪は、決して土下座をして謝っている訳ではありません。装束をよく見ると、身分の高い男性が格式の高い儀式に参列する際の「下げ角髪」(さげみずら)という髪型をしており、手にはしっかりした防具や腕飾り、腰には刀も携えています。そして重要なポイントは、正座の状態からつま先立ちをした跪座の姿勢であるということ。
実はこれは、最上級の敬意を表す姿勢。つまりこの埴輪は、晴れの席に正装で参列し、主君に向かってうやうやしく挨拶をしている様子を示していたのです。この埴輪のすぐ近くから、身分の高い人の埴輪が一緒に発掘されていることがその証拠と言えます。
椅子に座る人というユニークなモチーフで知られるのが、神奈川県横浜市の「蓼原古墳」(たではらこふん)で出土した「弾琴男子椅座像」(だんきんだんしいざぞう)です。
現代では椅子に腰掛けることはごく普通の行為ですが、埴輪が作られた古墳時代、椅子に座ることが許されるのは身分の高いごく限られた人だけでした。
また下げ角髪に烏帽子(えぼし)のような帽子、鈴のついた脚結(あゆい)で袴(はかま)を結んだ様子など、そのすべてが高貴な男性であることを示しています。しかも膝の上で抱えられているのは、国政に関して神の託宣を請うときに天皇自らが弾くという琴。よく見ると右手にバチを持っているため、これを使って琴をかき鳴らし、神のお告げを受けていたのかもしれないと想像できる造形です。