本多忠政は、江戸時代最強の武将「本多忠勝」の長男です。
本多忠政も勇猛で、名物「塩川来国光」や刀「桑名江」を愛刀とし、1614年(慶長19年)~1615年(慶長20年)にかけて行われた「大坂の陣」では、敵首292を獲るほど活躍。
桑名藩(現在の三重県)10万石、姫路藩(現在の兵庫県)15万石に移封して藩主を務めました。
子供は5人(三男、二女)。
長男はイケメンで有名な「本多忠刻」で、「千姫」と結婚した際に、父とは別途、姫路に10万石を受領。次男「本多政朝」(ほんだまさとも)も播磨龍野5万石を領し、娘婿「小笠原忠真」も明石10万石を領したため、本多忠政の時代には、本多宗家は実質40万石の大大名でした。
本多忠政は1631年(寛永8年)に56歳で病死。
長男・本多忠刻とその子「幸千代」も死去していたため、家督は次男・本多政朝が継いでいます。
西暦(和暦) | 年齢 | 出来事 |
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1575年(天正3年) | 1歳 | 本多忠勝の長男(第三子)として誕生。 |
1590年(天正18年) | 15歳 |
父・本多忠勝と共に「小田原征伐」に初陣して、勝利。 |
1596年(慶長元年) | 21歳 | |
1598年(慶長3年) | 23歳 |
従五位に叙せられ、美濃守を就任する。
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1600年(慶長5年) | 25歳 | |
1601年(慶長6年) | 26歳 |
父・本多忠勝と共に、大多喜藩から桑名藩へ移封。
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1609年(慶長14年) | 34歳 |
父・本多忠勝の隠居に伴い、家督を相続。
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1610年(慶長15年) | 35歳 |
父・本多忠勝の病死に伴い、桑名藩2代目藩主に就任。
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1614~1615年(慶長19~20年) | 39~40歳 | |
1616年(元和2年) | 41歳 | |
1626年(寛永3年) | 51歳 |
従四位下に叙せられ侍従となる。
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1631年(寛永8年) | 56歳 |
流行の病にかかり、死去。
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