「笄」(こうがい)とは、日本刀の「拵」(こしらえ)に付属する部品のひとつです。拵を構成する部品一式を「刀装具」(とうそうぐ)と呼び、笄の他、「鞘」(さや)、「鍔」(つば)、「小柄」(こづか)などがこれに含まれます。笄は、武士が身だしなみを整えるときに使う道具として鞘に付けていました。日常的な道具であった笄は、室町時代中期になると、「金工家」(きんこうか)によって技巧を凝らした装飾が施されるようになり、美術工芸品としての価値が認められることになります。
笄は、武士が髷(まげ)を整えたり、髷を乱さないように頭を掻いたりするときに用いたとされる刀装具です。江戸時代には縦に2分割できる「割笄」(わりこうがい)と呼ばれるタイプも登場しました。
また、「耳搔」(みみかき)と呼ばれる先端部分は、その名の通り耳搔きに使用されたとする説がありますが、該当部分が短すぎて実際に耳を搔くことは難しいため、この説には無理があるのです。耳搔の部分の使用目的は定かになっていません。
笄を携行する際には、鞘の差表(さしおもて:帯刀したとき体の外側に向く面)にある「笄櫃」(こうがいびつ)に収めます。鞘の反対側にあたる差裏(さしうら:体に接する面)には、「小柄櫃」(こづかびつ)があり、現代のカッターナイフのように使う小柄を収めていました。
笄や小柄が付属した拵では、鍔の中央にある「茎穴」(なかごあな)の左右に、笄を通す「笄櫃孔 」(こうがいびつあな)と、小柄を通す「小柄櫃孔」(こづかびつあな)があいています。
江戸時代には、笄と小柄、そして「柄」(つか)に付けられた金具の「目貫」(めぬき)を、同じ意匠で統一するのが粋(いき)とされ、この一揃いを「三所物」(みところもの)と称するようになりました。
室町時代前期までは、簡素な文様を施すことが一般的だった刀装具。こうした慣例を一変させたのが室町時代中期に登場した金工家の「後藤祐乗」(ごとうゆうじょう)です。
後藤祐乗は、18歳の若さで室町幕府8代将軍「足利義政」(あしかがよしまさ)に認められ、金工家として仕えることになります。それまで簡素であった笄をはじめとする刀装具は、伝説的な英雄や、龍、獅子などの霊獣、花鳥、波文様、家紋といった芸術性の高い意匠で彩られるようになり、実用性だけでなく、美術工芸品としての価値も高められたのです。
また、素材においても、これまで主流だった鉄や銅に代わり、金や赤銅(しゃくどう:銅に金を加えた合金)が用いられるようになり、色鮮やかに仕上げられました。後藤祐乗は、装剣金工(そうけんきんこう)の中でも、特に笄・小柄・目貫の三所物を得意としたと言われています。
その後、後藤祐乗の跡を継いだ「後藤家」の金工家達は、「織田信長」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」など時の権力者に重用され、江戸時代以降は、宗家と分家を合わせた後藤家一門が代々の徳川将軍家にお抱え金工家として仕えました。
江戸時代の大名や武士が正式な場で用いる「差料」(さしりょう:自分が帯刀するための日本刀)の拵には、後藤家の三所物を付けるのが通例となります。
徳川将軍家のお抱え金工家となった後藤家のあとに続くように、江戸時代には後藤家以外の流派も活躍。後藤家の作品を「家彫/御家彫り」(いえぼり/おいえぼり)と称したのに対し、民間で活動した金工家の作品は「町彫」(まちぼり)と呼ばれ区別されました。「横谷宗珉」(よこやそうみん)を先駆けとする町彫の金工家達は、「片切り鏨」(かたきりたがね)を巧みに操り、筆で描いたような絵画的な文様を作り出したことで知られています。
笄の文様が施された部分を「地板」(じいた)と言い、その構造の違いによって制作された年代を知ることができます。
「地彫」は、鏨(たがね)などで本体に直接文様を彫り込んだ作品で、安土桃山時代以前に多く見られるタイプです。別名は「鋤彫」(すきぼり)。文様の周囲を彫り、浮き上がらせるように立体的に仕上げるため、作業には時間を要しました。
「据紋」は、別に彫った「紋」(もん:地板に入れられた文様)を、穴をあけた地板に打ち込んで組み合わせる技法です。安土桃山時代以前には、組み込んだ紋を裏側から鋲(びょう)で留めたため、その跡が残りました。時代が進むと、表側から留めた作品も登場します。
「地板嵌込式」は、薄い金属板に文様を彫り、完成してから地板に嵌め込む技法のこと。江戸時代に考案されました。本体とは別に文様を作るため、短時間でより繊細な意匠を刻むことができたのです。
「蕨手」(わらびて)とは、地板の耳搔側に彫られた先端が巻いている意匠のこと。古い時代の作品では、この蕨手が根元に近い部分で左右に分かれていますが、新しい時代の作品では、茎(くき)がやや伸びたイメージで上の方で左右に分かれています。
非常に微細な違いであり、制作者や流派による差もありますが、制作年代を知るポイントのひとつと考えられているのです。
根元に近い部分で左右に分かれ、巻き込んだ先端のかたちがやや角張っています。
蕨手の左右に分かれる位置が根元から離れているのが特徴です。後藤家歴代当主の中でも特に高い技術を持っていたと伝えられる5代当主「後藤徳乗」(ごとうとくじょう)の作品に多く見られます。
蕨手の巻いた先端が植物の蔓(つる)に似た形状を示し、文様として様式化したタイプです。後藤家15代当主「後藤真乗」(ごとうしんじょう)が得意とした作風と言われています。