刀剣ブーム、あるいは戦国ブームが巻き起こって久しい現在、「真剣」である本物の日本刀とは違い、登録なども必要なく気軽に所持できる「模造刀」が人気を集めています。そんな中でも本物志向の刀剣ファンから注目されているのが、真剣さながらの外観を持つ「高級模造刀」です。
通常の模造刀との違いやこだわりポイントなど、高級模造刀の基礎知識についてご説明すると共に、多種多様な模造刀を取り扱う「名古屋刀剣ワールド オンラインミュージアムショップ」(ハートマークショップ)でオススメの高級模造刀2振をご紹介します。
銃刀法では模造刀の所持自体には制限がありませんが、第二十二条の四に「何人も、業務その他正当な理由による場合を除いては、模造刀剣類(金属で作られ、かつ、刀剣類に著しく類似する形態を有する物で内閣府令で定める物を言う。)を携帯してはならない」とあるように、模造刀の「携帯」は基本的に禁じられています。
ここで言う携帯とは、「現に携えている状態」にあること。具体的には自分で手に持ったり身体に帯びたりする、もしくはこれらに近い状態で、現に携えている場合を指しています。ただし、日常生活を営む自宅や居室内で携帯する場合は、規制の対象にはなりません。
模造刀はその名の通り、真剣の日本刀を模して作られた製品ですが、その価格が決まる要因のひとつは素材にあります。そして用いられる素材は、同じ模造刀でも用途によって使い分けられているのです。
模造刀の中でも最も低い価格帯の物は、「プラスチック製」の模造刀。4,000~8,000円程度の価格が相場で、観光地のお土産店などでよく販売されています。刀身が空洞になっているなど、模造刀としての再現度はそれほど高くはありませんが、イベント時のコスプレや、演劇の舞台に用いる小道具などが主な用途です。
模造刀の価格に反映される品質の高さは、「限りなく真剣に近付けられているかどうか」という観点で決定付けられます。もちろん、真剣の再現度が高ければ高いほど模造刀としての価格は高くなりますが、同じ高級模造刀の中でも実在した戦国武将や幕末の志士の愛刀など著名な刀剣をモデルにした物のほうが、一般的な真剣を再現した模造刀に比べて、より高い価格となるのです。
そして著名刀をモデルとした模造刀は、ひと目観て分かる姿の反りや身幅(みはば)だけでなく、「五箇伝」(ごかでん)の流派や刀工によって異なる刃文、刃中の働き、地鉄(じがね)の鍛えなど、細部に至るまで再現できているかどうかで価格の差が生じます。
また、模造刀には鑑賞を目的とした「美術刀」のみならず、武道の稽古や演武などで用いられる「模擬刀」(もぎとう)や、模擬刀の中でも、古武道の居合術を現代武道化した「居合道」(いあいどう)に用いられる「居合刀」も含まれますが、これらも通常の模造刀より高値が付く傾向があります。
模擬刀や居合刀は外観のみならず、強度や重量、バランスなどについても、真剣に近付けて再現していることがその理由。居合道などでは、実際に「素振り」や「抜刀」(ばっとう)、「振りかぶり」といった所作が行われるため、稽古や試合で繰り返し使用できる、耐久性に優れた模造刀が求められます。そしてこうした耐久性は、真剣に限りなく近い完成度を誇る高級模造刀においても、重要な再現ポイントとなっているのです。
名古屋刀剣ワールド オンラインミュージアムショップで購入できる高級模造刀は、南北朝時代に発祥した作刀伝法「美濃伝」(みのでん)の本拠地であり、現在は「刃物の町」としても知られる岐阜県関市のメーカーにて製造した、名古屋刀剣博物館(名博メーハク)「名古屋刀剣ワールド」のブランド模造刀です。
今回ご紹介する①「オリジナル模造刀/太刀 銘 包永(金象嵌)本多平八郎忠為所持之」(おりじなるもぞうとう/たち めい かねなが[きんぞうがん]ほんだへいはちろうただためこれをしょじす)、②「オリジナル模造刀/短刀 銘 備州長船住長義(名物大坂長義)」(おりじなるもぞうとう/たんとう めい びしゅうおさふねじゅうちょうぎ[めいぶつおおさかちょうぎ])の2振は高価な物ですが、それは真剣同様に柄を茎(なかご)から抜くことができ、拵の「柄頭」(つかがしら)や「返角」(かえりづの)、「栗形」(くりがた)に水牛の角を用いるなど、部品や細かな仕様にまでこだわっていることが理由。オーダーメイドで一から生産するコストと手間暇をかけたことで、本格的な仕上がりになっています。
なお本模造刀2振は鑑賞用としてはもちろん、頑丈な作りになっているため、居合刀としても用いることが可能です。
本模造刀は、「太刀 銘 包永(金象嵌)本多平八郎忠為所持之」をモデルに制作した実寸大の1振。
所持銘に切られている「本多平八郎忠為」は、「徳川四天王」のひとりである猛将「本多忠勝」(ほんだただかつ)の孫、「本多忠刻」(ほんだただとき)のことを指しています。
モデルとなった太刀は、所持していた本多忠刻が31歳の若さで亡くなったあと、「徳川家康」の孫であった妻「千姫」(せんひめ)が「徳川将軍家」へ持ち帰った、言わば形見の刀剣です。1685年(貞享2年)には5代将軍「徳川綱吉」(とくがわつなよし)から上田藩(現在の長野県上田市)初代藩主「松平忠周」(まつだいらただちか)へ下賜され、「松平家」で継承される来歴を辿りました。
本模造刀の見どころは、モデルの太刀と見分けが付かないほどの出来栄えとなっている、「直刃」(すぐは)調の刃文。本太刀を手掛けた「包永」(かねなが)は、このように波打たない真っ直ぐな直刃を得意としていた、「大和五派」(やまとごは)に属する名工です。
本模造刀のモデルは、加賀藩(現在の石川県金沢市)歴代藩主「前田家」(まえだけ)において、家宝として長く伝来した「短刀 銘 備州長船住長義(名物大坂長義)」です。
その来歴には諸説ありますが、一説によると、本短刀はもともと「豊臣秀吉」の愛刀でしたが、その重臣であり懇意な間柄にもあった「前田利家」(まえだとしいえ)が「大坂城/大阪城」(大阪市中央区)内にて、豊臣秀吉より拝領。この逸話が由来となり、「大坂長義」の号が付けられたと伝えられています。
「重要文化財」(旧国宝)に指定されている本短刀からは、作刀者である「長船派」(おさふねは)の名工「長義」(ながよし/ちょうぎ)らしい華やかさが醸し出されていますが、その要因のひとつが、目を見張るほど大胆に施された「大乱れ刃」(おおみだれば)の刃文です。本模造刀においても、この大きくうねる波のような刃文が持つ躍動感を、刀身いっぱいに表現しています。
また本模造刀では、モデルとなった短刀に実際に付属する「黒漆塗鞘 合口拵」(くろうるしぬりさや あいくちごしらえ)についても復刻。鮫皮を総巻した柄には、獅子をモチーフに型から成型した、銀製の「目貫」(めぬき)が装着されています。