日本刀を鑑賞するとき、そして芸術作品、古い神社仏閣、城などに興味を寄せたとき、「重要文化財」、あるいは「国宝」という言葉を目にすることがあるのではないでしょうか。国宝を含む重要文化財は、世界的に見ても貴重な日本の文化財を保護し、国民の文化的向上に寄与することを目的として、「文化財保護法」により指定されています。「重要文化財とは」では、重要文化財の定義にふれ、歴史について述べるとともに、著名な重要文化財の一例をご紹介。さらに、「刀剣ワールド財団」が所蔵する重要文化財の日本刀を観ていきます。
重要文化財とは、文化的な活動によって生み出され、今日まで大切に継承されてきた貴重な国民的財産のことです。その定義は厳密で、日本にある建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料などの有形文化財の中でも、歴史的・芸術的・学術的に高い価値を有する物として、文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指します。略称は「重文」(じゅうぶん)です。
さらに「文化財保護法第27条第2項」では、「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」を文部科学大臣が国宝に指定することができるとあります。つまり、国宝は重要文化財というカテゴリの中に含まれるのです。
なお、法令・行政用語においての重要文化財は、国が指定した文化財すべてを指す用語ではありません。国が指定する有形文化財のみを対象とした用語であり、似通った用語の「重要無形文化財」、「重要有形民俗文化財」、「重要無形民俗文化財」などは、いずれも重要文化財とは異なるカテゴリになります。
日本では文化財の調査・保護を目的として、1871年(明治4年)に「古器旧物保存方」(こききゅうぶつほぞんかた)、1897年(明治30年)には「古社寺保存法」(こしゃじほぞんほう)が制定されました。これらの法律は、のちに「史跡名勝天然記念物保存法」や「国宝保存法」へと受け継がれていきます。
そのあとの、1949年(昭和24年)、「法隆寺」(奈良県生駒郡斑鳩町)の金堂から出火し、壁面が損傷するという事故が発生。これをきっかけとして、翌1950年(昭和24年)に文化財保護法が制定されました。
それ以前の古社寺保存法と国宝保存法により、国宝に指定されていた建造物・美術工芸品などが、いわゆる「旧国宝」で、これらは焼失した物などを除き、文化財保護法に基づいて重要文化財に指定。そのなかでも日本の歴史上特に貴重な物が、改めて国宝に指定されたのです。文化財保護法により新たに指定された国宝は、「新国宝」と俗称されることもあります。
なお、旧国宝であった物の大半は重要文化財と呼ばれることになりましたが、決して格下げされたわけではありません。
「有形文化財」とは、実際に手で触れることができるような、かたちのある物を指します。歴史的・芸術的・学術的に価値の高い物が有形文化財であり、日本刀や美術工芸品、城、邸宅、神社、寺院などの建造物がこれに相当。そのなかには国宝や重要文化財、「登録有形文化財」などが含まれるのです。
一方の「無形文化財」には、かたちがありません。伝統行事や職人の技などがこれにあたり、特に重要と認められると重要無形文化財や「登録無形文化財」に指定されます。
例えば、優れた日本刀は国宝や重要文化財に指定されますが、日本刀を鍛える優れた刀工は「重要無形文化財保持者」に認定されるのです。一般的には「人間国宝」と呼ばれ、作刀の「技」そのものは重要無形文化財にあたり、刀工自身はその保持者となります。
重要文化財指定の候補については、文化庁で事前審査を担い、文部科学大臣は指定候補の文化財について文化審議会で諮問(しもん:意見を求めること)します。文化審議会は、文化審議会文化財分科会による審議と議決をへたのち、文部科学大臣に対して該当する候補を重要文化財に指定するよう申し入れるのです。
これを受け、文部科学大臣は指定する文化財の名称や所有者などを官報(国の機関紙)に告示すると同時に、所有者には指定書を交付します。重要文化財の指定が効力を持つのは、文部科学大臣によって官報に告示された当日からです。
重要文化財に指定されると、所有者には文化財保護法などの関係法令、及び文化庁長官の指示に従って、その重要文化財を適切に管理する義務が生じます。重要文化財の所有者の所在が変更される場合や、譲渡などによって所有者が変更される場合は文化庁長官への届出が必要です。また、原則として重要文化財は国外への輸出ができません。
重要文化財の管理や修理には費用がかかりますが、所有者のみの負担が難しいなどの事情がある場合は、文化財保護法により政府からの補助を受けることも可能です。一方、重要文化財を所有する際の固定資産税、所得税、また譲渡・相続・贈与における相続税、贈与税などについては、非課税や減免などの優遇措置が取られています。
姫路城は、兵庫県姫路市にある平山城(ひらやまじろ:平野の中にある山や丘に築かれた城)で、現在見られる全容が整ったのは江戸時代初期の1617年(元和3年)です。
1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」後に城主となった「池田輝政」(いけだてるまさ)によって大規模な城郭へと拡張されたのち、江戸時代に入城した「本多忠政」(ほんだただまさ)が手を加えて現在の姿へと完成させました。
白漆喰の城壁が美しいことでも名高く、「白鷺城」(しらさぎじょう/はくろじょう)とも呼ばれています。
現存する建物のうち、大天守、小天守、渡櫓(わたりやぐら)など8棟が国宝に、櫓や門、塀など72棟の建造物が重要文化財に指定されている姫路城。2009~2015年(平成21~27年)には、大天守の白漆喰の塗り替え、瓦屋根の葺き替え、耐震補強を中心とした「国宝姫路城大天守保存修理工事」が行われ、築城当初を思わせる純白の姿を取り戻しました。
本刀「刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来)」の作者である貞宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍しました。「相州伝」(そうしゅうでん)を確立した名工「正宗」(まさむね)の子、または養子と伝えられ、現存作のほとんどは無銘(むめい)ながら、その多くが国宝・重要文化財に指定されています。
貞宗の特筆すべき特徴は地鉄(じがね)の鍛え方にあり、その仕上がりは師匠の正宗をも凌ぐと評されました。地沸(じにえ)厚く、地景(ちけい)の入った本刀の鍛えは小板目肌(こいためはだ)。小雪の舞う夜の海にも似た幻想的な雰囲気をまとっています。また、匂(におい)深く小沸(こにえ)の付いた刃文は湾れ刃(のたれば)で穏やか。実戦的でありながら、華やかさもかね備えた正宗の作風とは趣を異にしているのです。
尾張徳川家に伝来した本刀は歴史的にも重要で、優れた出来映えとともに重要文化財にふさわしく、大切に後世へ伝えていくべき逸品と言えます。
重要文化財 | ||
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1 | 南北朝時代 | 短刀 銘 備州長船住長義(旧国宝) |
2 | 鎌倉時代 | 太刀 銘 備州長船住景光(旧国宝) |
3 | 鎌倉時代 | 短刀 銘 光包 延慶二年二月日(旧国宝) |
4 | 鎌倉時代末期 | 短刀 銘 来国光(名物塩川来国光) |
5 | 南北朝時代中期 | 太刀 銘 備州長船住成家 |
6 | 鎌倉時代中期 | 太刀 銘 国行 |
7 | 鎌倉時代後期 | 太刀 銘 来国光 |
8 | 南北朝時代 | 刀 無銘 貞宗(尾張徳川家伝来) |
9 | 鎌倉時代 | 刀 無銘 吉岡一文字 |
10 | 鎌倉時代中期 | 刀 無銘 伝国俊 |