日本刀を鑑賞するとき、「国宝:太刀 銘 三条(名物 三日月宗近)」という記載を目にすることがあります。「国宝」である「三日月宗近」(みかづきむねちか)が極めて貴重な名刀であることは理解できるものの、そもそも、この国宝とはどんな物を指しているのでしょうか。また、同じく貴重な日本の宝を表す「重要文化財」、「重要美術品」との違いについても気になるところです。そこで、「国宝・重要文化財・重要美術品の違いとは」では、それぞれの定義を見ながら違いについて解説。さらに実例として、5振の名刀「天下五剣」(てんがごけん)と、「刀剣ワールド財団」が所蔵する国宝・重要文化財・重要美術品の日本刀をご紹介しましょう。
「文化財保護法第27条」では、重要文化財について下記のように記されています。
「有形文化財」とは、日本刀をはじめとする美術工芸品や、城・神社仏閣といった建造物のうち、歴史的・芸術的・資料的に価値の高い姿かたちのある日本の文化財のことです。
さらに、「文化財保護法第27条第2項」には、「国宝」への言及があります。
つまり、重要文化財の中でも特に貴重な宝が日本国政府(文部科学大臣)によって国宝に指定されているのです。
2023年(令和5年)9月1日現在、国宝の数は、1,136件、国宝を含む重要文化財の総数は13,429件となっています。
日本刀の鑑定区分に「重要文化財(旧国宝)」と書かれているのを目にしたことはないでしょうか。「旧国宝」とは、1929年(昭和4年)に制定された「国宝保存法」に基づいて指定された貴重な有形文化財のことです。当時の法律では国宝と重要文化財の区別はありませんでした。
そののちの1950年(昭和25年)に文化財保護法が施行され、国宝保存法の国宝は火災等で失われた物を除き、すべて重要文化財となります。これは、制度上の変更であり、文化財が格下げになったわけではありません。そして、重要文化財の中から、日本の文化史上特に貴重な物が改めて国宝に指定されたのです。
旧国宝に対して、文化財保護法によって指定された国宝を「新国宝」と呼ぶこともあります。
日本刀を鑑賞していると、もうひとつ気付くことがありました。それは、重要美術品と書かれた作品があることです。
重要美術品とは、文化財保護法施行以前の1933年(昭和8年)に制定された「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」に基づいて認定された有形文化財のこと。この法律は、旧国宝に指定されてはいないものの重要と認められる日本の古美術品が、国外へ流出するのを防ぐために定められました。
文化財保護法の施行によって、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」は廃止されましたが、重要美術品は、重要文化財に次ぐ貴重な有形文化財を表す言葉として現在も使われています。なお、国宝・重要文化財・重要美術品は、文化財保護法に基づき、原則として輸出することはできません。
「刀剣ワールド財団」が所蔵する日本刀の中から、国宝・重要文化財・重要美術品の作品をそれぞれ1振ずつ選んでご紹介。作品としての出来映えはもちろんのこと、有名武将が所有したその伝来においても、歴史的に非常に価値の高い名刀揃いとなっています。
本短刀は、「織田信長」の末弟で武将の「織田長益」(おだながます)こと「織田有楽斎」(おだうらくさい)が、「豊臣秀頼」(とよとみひでより)から拝領した1振です。
参謀として織田信長に仕えた織田有楽斎は、のちに「豊臣秀吉」の側近くに仕える御伽衆(おとぎしゅう)に抜擢。また、幼少の頃から「茶道」に親しみ、「千利休」(せんのりきゅう)に師事して極めると、独自の流派である武家茶道「有楽流」(うらくりゅう)を創始しました。織田有楽斎はそののち、刀剣鑑定家「本阿弥光甫」(ほんあみこうほ)の取次により、本短刀を「前田利常」(まえだとしつね)に譲っています。
本短刀を作刀したのは、鎌倉時代末期に山城国(現在の京都府南部)で活躍した名工「来国光」(らいくにみつ)です。豪壮な体配(たいはい)が目を惹く本短刀の刃文(はもん)は華やかな互の目(ぐのめ)交じりの大丁子乱れ(おおちょうじみだれ)。地鉄(じがね)は流麗にして精緻な小板目肌(こいためはだ)で、品格が漂っています。
江戸時代の名刀リスト「享保名物帳」(きょうほうめいぶつちょう)には、五千貫(現在の価格で約3.7億円)と記載された逸品であり、1931年(昭和6年)、旧国宝に指定。1955年(昭和30年)には国宝に指定されました。
本太刀(たち)は、徳川宗家16代当主「徳川家達」(とくがわいえさと)が所有した太刀の名品です。「第2次世界大戦」後、本太刀が徳川家から離れることになったとき、「権現様より伝わる太刀」と但し書きに記されました。この場合の「権現様」とは「徳川家康」のことを指すため、徳川家康の愛刀であった本太刀が、徳川宗家に伝えられたと考えられています。
作者である「景光」(かげみつ)は、鎌倉時代後期より備前国(現在の岡山県)東部の吉井川流域を拠点として栄えた刀工一派「長船派」の名工です。
本太刀の地鉄は、細かな小板目肌に沸(にえ)、乱映り(みだれうつり)が見られ、刃文は小互の目乱れ(こぐのめみだれ)に、足(あし)、葉(よう)が入る匂出来(においでき)。景光の特色が色濃く表れた1振であり、国宝保存法のもとでは旧国宝に指定。そののち、文化財保護法の施行により重要文化財に指定されています。
「大坂新刀」を代表する名工のひとり、「井上真改/真改国貞」(いのうえしんかい/しんかいくにさだ)の手による重要美術品の打刀(うちがたな:刀とも)をご紹介。井上真改は、江戸時代前期に摂津国(現在の大阪府北中部、兵庫県南東部)で活躍した刀工で、「大坂正宗」(おおさかまさむね)の異名を取る名工です。同じ大坂新刀の名工「津田越前守助広」(つだえちぜんのかみすけひろ)とは、双璧をなすとして称賛されました。
本刀の作風は、刃文の匂口(においぐち)深く、刃中の明るい大湾れ刃(おおのたれば)が大らかな雰囲気。地鉄は、地沸(じにえ)が微塵に厚く付き、きめ細かく詰んでいます。作刀に臨む際には身を清め、最高級の素材を用いたと伝えられる井上真改の真骨頂とも言える傑作刀です。