手塚治虫が独自に生み出した新選組隊士・鎌切大作(かまきりだいさく)。主人公のライバルです。神道無念流の使い手で浪人達を一刀する剣客です。(■手塚治虫の刀剣キャラ② 神道無念流の使い手・鎌切大作より)
「漫画の神様」と謳われる手塚治虫(てづかおさむ)。テレビドラマ・映画による新選組ブームの時期には【新選組】を描いています。水木しげる人気の中では【どろろ】を描きました。手塚治虫が青年漫画へ移行する直前のそれら2作の少年漫画では、共に刀剣の持つ怪しさが描かれます。
手塚治虫は、漫画映画(アニメーション)に憧れた子供時代を過ごし、子供向け新聞の大阪版に描いた4コマ漫画でプロデビューします。そして、明治時代から続く子供向けの赤本漫画(明治頃に出版された少年向けの講談本・落語本の俗称。表紙に赤系の色がよく使われた。)で作画を手がけた【新宝島】(酒井七馬[さかいしちま]原作・構成)が大人気になります。
その後、代表作となる【ジャングル大帝】、【アトム大使】(のち【鉄腕アトム】)、【リボンの騎士】、【火の鳥】などを月刊少年・少女漫画雑誌で発表し、並行して少年向けの刀剣漫画を次々と描きます。【冒険狂時代】、【弁慶】、林不忘(はやしふぼう)原作【丹下左膳(たんげさぜん)】、【夜明け城】、【おれは猿飛だ!】、【鉄の道】などです。
手塚治虫は「虫プロダクション」を設立し、日本初の30分放送枠の連続テレビアニメ「鉄腕アトム」の放送が始まった年に、【新選組】(1963年〔少年ブック〕連載)を描きます。
主人公は、架空の少年剣士・深草丘十郎(ふかくさきゅうじゅうろう)です。父親を目の前で斬られた深草丘十郎は、父を殺した土佐藩士を追い払った新選組局長・近藤勇を頼り、胸には親の敵を討つことを秘め、新選組に入隊しました。
新選組隊士として過ごす中で深草丘十郎は、対立する長州藩の間者として新選組に入り込んでいた松永主計(まつながかずえ)を斬ったことで、主計の娘の敵に。今度は自身が親の敵として命を狙われる立場になります。
遂に父の敵を斬ることは叶うも、深草丘十郎は敵討ちが繰り返される空しさに、「ぼくはこれからいったいどうしたらいいのか」と苦悩していきます。そのうえ入隊後に親友となった新人隊士が長州藩の間者だったため、新選組副長・土方歳三から「斬れ!」と命じられるのでした。
漫画家の萩尾望都(はぎおもと)は、この新選組を単行本で読み、手塚治虫が描いた親友同士の結末の奥深さに触れ、漫画家になる決意をしたと述べています。
深草丘十郎は、同時に入隊した鎌切大作(かまきりだいさく)と出会ってすぐに意気投合します。鎌切大作は浪人達を1振りで倒し、深草丘十郎がとても敵わないほどの剣客です。
手塚治虫はその強さを、斬り口を見せずに描きました。刀を振る鎌切大作、微動だにできない浪人達、川に落ちる浪人達、と漫画の大きな特徴であるコマ割りを3つ使って表現しました。
深草丘十郎と鎌切大作は稽古終わりにおしるこを一緒に食べに行くほどの親友になります。けれども鎌切大作は長州藩の間者でした。長州藩の剣客・桂小五郎と同じ神道無念流の使い手であることから、土方歳三からずっと疑われていました。2人の友情は真剣勝負で終わりを告げます。
手塚治虫は2人の真剣勝負の瞬間を、劇画漫画家達と同じ表現で試みました。マジックインキの開発発売後、いち早くマジックインキによる血しぶきを描いた劇画漫画家達の荒々しい表現を用いました。
深草丘十郎が斬った松永主計の娘の助太刀として、松永主計の無二の親友の長州浪人・仏南無之介(ほとけなむのすけ)も登場します。
南無妙法蓮華経と書かれた黒の着物を着た人物で、村雨丸が愛刀です。曲亭(滝沢)馬琴【南総里見八犬伝】で描かれる不思議な力を放つ刀と同じ名前です。手塚治虫は霧を呼び、雨を降らすような効果をもたらす刀として描きました。
手塚治虫は新選組発表の4年後、水木しげる等の劇画ブームの中で、【どろろ】(1967~1968年〔週刊少年サンデー〕連載)を描きます。
子供の盗賊・どろろは、農民の貧しさから野盗となった両親を早くに亡くした過去を持っています。そんなどろろは、とっちめられているところを助けてくれた百鬼丸(ひゃっきまる)の仕込み刀に惹かれ、いつか百鬼丸の刀を自分の物にしようとひっつきまわるのです。
【どろろ】はテレビアニメ化されました。その際連載も再開され(1969年〔冒険王〕連載)、手塚治虫の代表作のひとつです。
百鬼丸は、【どろろ】の中のもうひとりの主人公です。戦国武将の父が天下統一を望んで48匹の魔神と契約したことで体を奪われた赤ん坊として誕生し、川に流された過去を持っています。赤ん坊は、拾われた医者のもとで育てられることになります。
医者は赤ん坊に仮の体を与え育てるも、妖怪達が次々と現れることに耐えかね「この刀はわしが若い頃大将から拝領した名刀」と述べた無銘の名刀を育ての子の腕に仕込みます。そして、百鬼丸の名を付けて別れを告げました。
百鬼丸は48の部位を取り戻すべく、48匹の妖怪を退治する旅に出ます。旅の途中で百鬼丸は、盲目の「琵琶法師のおっさん」と出会います。琵琶に仕込んだ刀で飛んでいる羽虫を真っ二つに斬るほどの剣客です。
自身の不自由さに悩んだ百鬼丸は、おっさんから剣術を習おうと頭を下げるも、おっさんは「おれみたいな男でもこのくれえできるんだ おめえさんにだってできることだよ」と、百鬼丸が強く生きていくための勇気を教えます。
【どろろ】の「妖刀の巻」では、刀の妖怪が描かれます。田之介(たのすけ)は、仕えていた殿の命で罪のない多くの人々達を斬り、褒美にある刀を授かります。それは刀のかたちをした妖怪・似蛭(にひる)でした。
似蛭を手にした者は、「この刀は血の味をおぼえて斬りたくてがまんができん」という衝動にとらわれていきます。
手塚治虫の新選組連載時期は、子母澤寛(しもざわかん)【新選組始末記】のテレビドラマ化・映画化や、司馬遼太郎が新選組を描いた【燃えよ剣】、【新選組血風録】連載の同時期にあたり、新選組ブームの兆しの中でした。
また、手塚治虫の新選組の主人公・深草丘十郎には五味康祐【剣聖深草新十郎】が先行し、登場人物の仏南無之介は、中里介山(なかざとかいざん)【大菩薩峠】の机竜之助(つくえりゅうのすけ)、行友李風(ゆきともりふう)【月形半平太】など、何度も映画化された人気キャラクターの影響をうかがわせます。
【どろろ】連載時期には、勝新太郎主演の映画【座頭市】シリーズ(原作・子母澤寛)が人気となっていました。妖刀に取り憑かれる物語には、行友李風「月形半平太」や【修羅八荒】などが先行しています。
手塚治虫はその後、青年漫画雑誌が創刊される中で、大人向け漫画へ徐々に移行していきます(【地球を呑む】、【きりひと讃歌】、【I.L】、【奇子】、【ばるぼら】、【シュマリ】、【MW】、【陽だまりの樹】、【グリンゴ】)。
その中でも【陽だまりの樹】(1981~1986年〔ビッグコミック〕連載)は時代劇です。第29回(昭和58年度)小学館漫画賞・青年一般部門を受賞しています。
徳川家定(江戸幕府第13代将軍)から徳川慶喜(第15代将軍)の時代を舞台に、手塚治虫自身の曾祖父・手塚良庵(てづかりょうあん:のち3代目・手塚良仙)の生涯が描かれます。
主人公のひとり、手塚良庵は医者の家に生まれ、蘭学医・緒方洪庵が主宰する適塾に通う医者の卵です。
普段は頭を上げている武士でも医療となれば別です。父の代わりに訪れた訪問先で、初めて人間にメスを振るうことになります。それは生涯のライバルとなる、いつも頭を下げていた武士でした。
手塚良仙は自身の医術道具を投げた武士にこう言います。
「医者にとっちゃ、医療道具は武士の大小と同じだぞ。武士が大小を地べたにほうり投げられたらどうなさるッ? エエッ?」
物語のもうひとりの主人公が、架空の武士・伊武谷万二郎(いぶやまんじろう)です。常州府中藩藩士です。
千葉周作(北辰一刀流創始者)の道場に入門した3日後、清川八郎(庄内藩藩士)と斬り合ったことで深手を負い、手塚良庵の治療を受けました。
その数日後、今度は伊武谷万二郎が手塚良庵を救います。医者の派閥争いから暴漢に襲われているところを、その剣の腕で助けました。以後、医者と武士の2人の数奇な運命が交差していきます。
手塚治虫は、剣客の伊武谷万二郎の場面を素早い動きと大胆なコマ割りで描写しました。
手塚治虫は時代劇漫画を描くにあたり、少年漫画では歴史・時代小説の成果の中でも刀剣の持つ妖しさを抽出し、青年漫画では史実性を大きく踏まえました。