天空の城とは、空中に浮かぶような美しい場所や建造物を指し、素晴らしい景観を楽しめる観光スポットとして人気です。日本にも「天空の城」と呼ばれる名所がいくつかあり、いずれも壮大で幻想的な景色で、多くの人に親しまれてきました。特に人気の高い「竹田城跡」(たけだじょうあと:兵庫県朝来市)、「赤木城跡」(あかぎじょうあと:三重県熊野市)、「津和野城跡」(つわのじょうあと:島根県鹿足郡[かのあしぐん])、「備中松山城」(びっちゅうまつやまじょう:岡山県高梁市[たかはしし])、「越前大野城」(えちぜんおおのじょう:福井県大野市)、「郡上八幡城」(ぐじょうはちまんじょう:岐阜県郡上市)の6大名城についてご紹介します。
兵庫県朝来市にある竹田城跡は、「日本のマチュピチュ」と称されることもある城跡です。
標高353.7mの古城山(こじょうざん)の山頂に位置し、まるで虎が伏せているように見えることから「虎伏城」(とらふすじょう)とも呼ばれ、日本100名城にも選ばれました。
竹田城跡は、特に秋の晴れた朝には濃霧が発生しやすく、運が良ければ、雲が海のように広がる「雲海」(うんかい)を早朝に見られます。雲海シーズンは9月1日~11月30日の間で、雲海のなかに竹田城が浮かぶ光景は荘厳です。
竹田城は1443年頃(嘉吉年間)、但馬国(たじまのくに:現在の兵庫県北部)の守護「山名宗全」(やまなそうぜん)が太田垣氏(おおたがきし)に築かせたと伝わる城。
しかし、1580年(天正8年)には「羽柴秀吉」(はしばひでよし:のちの[豊臣秀吉])による但馬攻めによって、竹田城は落城しました。以降、「羽柴秀長」(はしばひでなが:のちの[豊臣秀長])や「桑山重晴」(くわやましげはる)などが城主を務めます。
1600年(慶長5年)に勃発した「関ヶ原の戦い」(せきがはらのたたかい)にて、当時の城主「赤松広秀」(あかまつひろひで)は、「鳥取城」(鳥取県鳥取市)を攻めた際に城下町へ放火したことについて罪に問われ自刃。城主を失った竹田城は廃城となりました。1943年(昭和18年)には国の史跡に指定され、現在は朝来市が管理しています。
施設情報 | |
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所在地 | 〒669-5252 兵庫県朝来市和田山町竹田字古城山169番地 |
拝観時間 |
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電話番号 | 朝来市役所産業振興部観光交流課 079-672-4003 |
定休日 | 1月4日~2月末 |
拝観料 | 大人(高校生以上):500円 中学生以下:無料 年間パス(ひとり/1年):1,000円 |
駐車場 | 有り |
交通アクセス |
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公式サイト | https://www.city.asago.hyogo.jp/site/takeda/ |
三重県熊野市にある赤木城跡は、標高230mと、それほど高くない場所に位置する城跡。赤木城を築いたのは、戦国時代から江戸時代にかけての大名であり、築城の名手として知られた「藤堂高虎」(とうどうたかとら)だと言われています。
寒暖差や湿度などの条件が揃うと深い霧が発生し、美しい雲海を見られるスポット。
赤木城跡が雲海の上にそびえ立つ姿を写真に収めるなら、城跡ではなく県道40号付近がおすすめです。赤木川を渡って40号線を北上し、1分ほど進んだところに見える標識の辺りから、雲海を望むことが可能。
また、赤木城跡では中世と近世の築城法を併用しており、桜や紅葉などの季節の景色を楽しむのにも最適なスポットです。
なお、赤木城跡の手前にある「田平子峠刑場跡」(たびらことうげけいじょうあと)は、かつて1586年(天正14年)に起きた「北山一揆」の参加者を処刑した場所でした。現在は、処刑された人々の供養塔が建てられています。
施設情報 | |
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所在地 | 〒519-5404 三重県熊野市紀和町赤木122 |
拝観時間 | 特に定めなし |
電話番号 | 0597-89-4111 |
定休日 | 定めなし |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 有り(30台収容) |
交通アクセス |
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公式サイト | https://www.kumano-kankou.info/ |
島根県鹿足郡に位置する津和野城跡は、朝霧に包まれた美しい天空の城として知られる城跡。1295年(永仁3年)に「吉見頼行」(よしみよりゆき)によって、標高362mの霊亀山(れいきさん)の頂上に築かれました。津和野町は「山陰の小京都」とも呼ばれ、城跡からはその美しい景色を一望できます。
津和野城跡は頑丈な土塁と石垣で囲まれており、「陶晴賢」(すえはるかた)の大軍に包囲された際にもその防御力を発揮したことで有名。戦国時代に築城され、1871年(明治4年)の「廃藩置県」によって廃城となりました。
城郭は1686年(貞享3年)に落雷によって焼失してしまいましたが、平成時代になってからは保存整理の取り組みが始まり、見事な石垣が残っています。
現在は、観光リフトを利用して、城跡にアクセスすることが可能。リフトは「太皷谷稲成神社」(たいこだにいなりじんじゃ)の参道から出発しており、窓から四季折々の自然を楽しめます。
施設情報 | |
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所在地 | 〒699-5605 島根県鹿足郡津和野町後田 |
拝観時間 | 見学自由 観光リフトは9:00~16:30 |
電話番号 | 0856-72-1771 |
定休日 | 12月1日~2月末は、土日祝日のみリフト運行ただし、1月1~5日は運行 |
拝観料 | 無料 |
駐車場 | 有り(10台収容/無料) |
交通アクセス | JR山口線「津和野駅」から石見交通バス(津和野線/津和野方面)20分、津和野温泉下車徒歩10分 |
公式サイト | https://www.kankou-shimane.com/destination/20242 |
岡山県高梁市(たかはしし)に位置する備中松山城は、日本で唯一の「天守が現存している城」です。標高430mの「臥牛山」(がぎゅうさん)の頂上に位置し、江戸時代に建てられた2重櫓、天守、土塀の一部が国の重要文化財に指定されています。
備中松山城の起源は、鎌倉時代に大松山(おおまつさん)に築かれた砦です。その後、幾度もの城主交代を経て、幕末まで備中の要所として栄えました。城内の建物には、臥牛山から切り出された花崗岩を使用しており、荘厳で精緻な造りが現在でも高く評価されています。
雲海が発生しやすい時期は、10月上旬~12月上旬で、時間帯は明け方から午前8時にかけての時間帯がベストです。気象条件が合えば、「雲海展望台」から絶景を見ることができます。
備中松山城周辺には数々のウォーキングポイントもあり、1240年(延応2年)に「秋庭重信」(あきばしげのぶ)によって築かれた砦跡や、1574年(天正2年)に起こった「備中兵乱」の古戦場跡である「相畑城戸跡」(あいはたのきとあと)などが見どころ。相畑には井戸なども残っており、昔の生活の面影を感じられます。
また、備中松山城では、2018年(平成30年)に「猫城主 さんじゅーろー」という名前の猫が城主に就任し、猫好きの間で話題となりました。さんじゅーろーは定期的に城内を見回っており、城を訪れる人々を楽しませています。
施設情報 | |
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所在地 | 〒716-0004 岡山県高梁市内山下1 |
拝観時間 |
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電話番号 | 0866-22-1487 |
定休日 | 12月29日~1月3日 |
拝観料 | 大人:500円 小中学生:200円 |
駐車場 | 有り |
交通アクセス |
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公式サイト | https://www.bitchumatsuyamacastle.jp/ |
福井県大野市に位置する越前大野城は、亀山の頂上に建てられた平山城です。
「織田信長」の家臣であった「金森長近」(かなもりながちか)が、大野郡の一向一揆を鎮圧した報奨として大野市周辺の領地を与えられ、1576年(天正4年)に築城を開始しました。
越前大野城には、石垣を横たえて大きな石を奥側に押し込んで積み重ねていく「野面積み」(のづらづみ)と呼ばれる工法が用いられており、建築的にも高い評価を得ています。
越前大野城で雲海が見られる時期は10~4月末頃で、明け方から午前9時頃までの時間帯に見られやすいです。城下町が雲海に包まれ、特に夜間は雲の間から光が漏れて幻想的な景色を望めます。
天空の城の眺望ポイントは、越前大野城の西方約1kmの地点にある「戌山城址」(いぬやまじょうあと)の展望スペース。このポイントまでは、登山コースを使って到着できます。
なお、越前大野城の登山コースは3つあり、「天空への小径」と「鍬掛[くわかけ]コース」は、絶景が続くルート。「清水コース」は戌山城址の遺構を通りながら歩けるため、歴史ファンには特に人気があります。
施設情報 | |
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所在地 | 〒912-0087 福井県大野市城町3-109 |
拝観時間 |
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電話番号 | 0779-66-0234 |
定休日 | 12月1日~3月31日 |
拝観料 | 大人:300円 中学生以下:無料 |
駐車場 | なし |
交通アクセス |
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公式サイト | https://www.onocastle.net/ |
岐阜県郡上市に位置する郡上八幡城は、日本で最も古い木造再建城です。朝霧が立ち込めるなかに郡上八幡城が浮かび上がり、その美しい姿から「積翠城」(せきすいじょう:積み重なった緑色の城)とも呼ばれ、「司馬遼太郎」(しばりょうたろう)の紀行文集「街道を行く」では、「日本で最も美しい山城」と評されました。
郡上藩(現在の岐阜県郡上市)を統一した「遠藤盛数」(えんどうもりかず)が1559年(永禄2年)に建設し、1588年(天正16年)に領主となった「稲葉貞通」(いなばさだみち)が、石垣や天守台を強化します。
しかし、1871年(明治4年)の廃藩置県で郡上藩は廃藩となり、郡上八幡城も廃城。一時は石垣のみが残っている状態でしたが、1933年(昭和8年)に木造の模擬天守が再建されました。
城内の見どころは、「徳川家康」から郡上八幡城の城主「青山幸道」(あおやまよしみち)へ贈られた「金の弩標」(きんのどひょう)や、城や城下町の礎を築いた遠藤盛数の子「遠藤慶隆」が「姉川の合戦」で使用したとされる甲冑(鎧兜)などです。11月には「紅葉祭り」も開催され、多くの観光客で賑わいます。
施設情報 | |
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所在地 | 〒501-4214 岐阜県郡上市八幡町柳町一の平659 |
拝観時間 |
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電話番号 | 0575-67-1819 |
定休日 | 12月20日~1月10日 |
拝観料 | 大人(高校生以上):400円 小人(小・中学生):200円 |
駐車場 | 有り |
交通アクセス |
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公式サイト | https://hachiman-castle.com/ |