武具の基礎知識

武具の種類
/ホームメイト

武具の種類 武具の種類
文字サイズ

「武具」(ぶぐ)とは、近代以前の戦場で使われた道具の総称です。敵を攻撃する「攻撃具」(こうげきぐ)、攻撃から身を守る「防御具」(ぼうぎょぐ)、陣を張ったり馬に乗ったりするときに使用する「その他の道具」の3種類があります。日本における武具の最大の特徴は、長い時間をかけて実用性・ 機能性を追求するなかで細分化され、膨大な種類の武具が誕生したことでした。そして、これらの武具一つひとつにきめ細かい細工が施され、現代では芸術品としても世界中で高く評価されています。

戦場で用いられる武具

戦場で使われる武具

戦場で使われる武具

一般的に武具と言うと、日本刀甲冑(鎧兜:かっちゅう)をイメージしがちです。しかし実際には、日本刀などの攻撃具、甲冑(鎧兜)などの防御具、さらに陣幕や軍配馬具など、戦場で使用されるすべての道具を総称して「武具」と呼ばれます。

戦場での戦い方は時代ごとに変化してきており、それに合わせて武具の形状や機能も進化し、武具はきわめて多種多様になりました。

また、武具の発展に伴って、戦場ではなく儀式で使用するためだけに生まれた道具も登場しています。戦場で使われる武具が「兵仗」(ひょうじょう)と呼ばれるのに対し、儀式で使われる物は「儀仗」(ぎじょう)と呼ばれました。

攻撃具とその種類

日本刀の種類

日本刀を形状で分けたとき、日本で最も初期の日本刀は、真っすぐな刀身をもつ「直刀」(ちょくとう)です。その多くは、「両刃」(もろは:刀身の両方にを切った物)の剣(けん/つるぎ)でした。その後、平安時代後期には、湾曲した刀身をもつ「太刀」(たち)が登場。しかし、戦国時代になると接近戦が増えたため、太刀よりもより使いやすい、刀身の短い「打刀」(うちがたな)と、さらに短い「脇差」(わきざし)が誕生しました。時代小説などで、武士が腰に差した「大小」と表現される日本刀は、打刀と脇差のことです。

日本刀を作刀時期で分けると、江戸時代より前に作られた日本刀は「古刀」(ことう)、江戸時代以降は「新刀」(しんとう)と呼ばれます。そして、江戸後期の1764年(明和元年)あたりから1876年(明治9年)の廃刀令までに作られた物が「新々刀」(しんしんとう)、それ以降の物は「現代刀」(げんだいとう)と呼ばれる物です。

日本刀以外では、長いの先に両刃の剣を装着した「」(やり)や、湾曲した長い刃で相手を薙ぎ払うことから名付けられた「薙刀」(なぎなた:長刀とも)などのバリエーションもありました。

刀剣写真・日本刀画像一覧刀剣写真・日本刀画像一覧
詳細な刀剣写真・日本刀画像をご覧いただけます。

銃・大砲

火縄銃の一部 (火縄銃 細筒 銀象嵌[曙])

火縄銃の一部
(火縄銃 細筒 銀象嵌[曙])

日本で用いられた銃は、16世紀中頃に伝来した「火縄銃」(ひなわじゅう)と、江戸時代後期に輸入された「西洋式銃」(せいようしきじゅう)に分かれます。

火縄銃は、戦国武将が工夫を凝らしたことで、多くの変種が誕生。一般的な火縄銃に用いられた弾の直径は約17mmでしたが、100mm以上の弾を発射できる「大鉄砲」(おおでっぽう)と呼ばれるタイプもありました。他には、口径が小さく、銃身が短い「小筒」(こづつ)、馬上で使用する「馬上筒」(ばじょうづつ)、さらに多数の弾を一斉に発射できる「五連発銃」(ごれんぱつじゅう)、「二十連発銃」(にじゅうれんぱつじゅう)、手のひらに収まるサイズで暗殺などに用いられた、「芥砲」(かいほう:握り鉄砲)なども残っています。

一方の西洋式銃は、火縄銃と違って雨のなかでも使えるため、各藩がこぞって導入。幕末の動乱期には大いに活躍しました。燧石(すいせき:火打石)で火薬に点火する「ゲベール銃」や、火薬を詰めた雷管(らいかん)で着火する「エンフィールド銃」、明治維新後も警察で使われた「スナイドル銃」などの種類があります。なかには、20本の銃身を持つ「二十連発銃」と呼ばれるタイプも存在しました。

こうした銃よりも巨大サイズで、大口径の弾丸を飛ばせる武器が「大筒」(おおづつ)です。こちらも早い物は戦国時代から用いられていますが、江戸時代に鍛造技術(たんぞうぎじゅつ)が発達したことと、海防意識の高まりから、多彩な大筒が誕生。砲の口径に対して砲身長が長い「加農砲」(かのんほう)や、逆に砲身長が短い「臼砲」(うすほう)、着弾時に無数の弾に分裂する「榴散弾」(りゅうさんだん)を発射できる「榴弾砲」(りゅうだんほう)など、きわめて殺傷能力が高い大筒もありました。

鉄砲/大砲写真集鉄砲/大砲写真集
火縄銃から輸入古式西洋銃、和製西洋式銃、大砲まで、様々な鉄砲と大砲の写真をご覧いただけます。

弓矢

石器時代から使われている、最も古い攻撃具がです。初期の弓は木の枝を削っただけの物で、これを「丸木弓」(まるきゆみ)と言います。

その後、より強度を持たせるために複数の樹木を張り合わせるようになり、木と竹を接いだ「伏竹弓」(ふせだけのゆみ)、竹の本数を増やした「三枚打弓」(さんまいうちのゆみ)・「四方竹弓」(しほうだけのゆみ)、より複雑に竹と木を組み合わせた「弓胎弓」(ひごゆみ)などが生まれました。弓胎弓は、「三十三間堂」(さんじゅうさんげんどう:京都市東山区)の儀式である「通し矢」(とおしや)で、120mもの距離を飛ばすために強化された弓と言われます。

については、矢竹(やだけ)の先端に鏃(やじり)を付け、その反対側に矢羽(やばね)などを取り付けた構造は昔から変わりません。また、単に相手を射抜くための物ばかりではなく、戦場で戦いの合図を鳴らすため、大きな風切り音を出す「鏑矢」(かぶらや)という種類もありました。

弓・矢屏風・鏃写真弓・矢屏風・鏃写真
弓・矢や矢籠・矢屏風のほか、鞆や鏃といった芸術品をご覧いただけます。

防御具とその種類

甲冑(鎧兜)

当世具足

当世具足

甲冑(鎧兜)とは、頭を保護する「」(かぶと)と、胴体を保護する「鎧」(よろい)の総称。日本の甲冑(鎧兜)は、4つの種類に大別できます。

平安時代から鎌倉時代にかけて使われたのが、「大鎧」(おおよろい)。腰から下を保護する「草摺」(くさずり)が前後左右4枚に分かれており、武将が馬上から矢を射かけるのに適していました。敵の矢を通さない反面、重量が重いという欠点もあります。

次に、南北朝時代に生まれたのが「胴丸」(どうまる)で、中・下級の徒歩(かち)武者用に発達した甲冑(鎧兜)です。騎馬戦から徒歩武者による野戦が主流となったことで、より動きやすさを求めて生まれたと考えられています。その後、背中から身体を入れて引き合わせる形式で、胴丸よりも軽量な「腹巻」(はらまき)が登場。

そして、戦国時代に主流になった槍や鉄砲による集団戦に対応できるよう、より頑丈で軽量に作られた「当世具足」(とうせいぐそく)が生まれました。武士が戦場での活躍を周囲に印象付けるために、独自の意匠を施した「変わり兜」が多数登場したのも当世具足の特徴と言えます。

甲冑(鎧兜)写真甲冑(鎧兜)写真
甲冑(鎧兜)の解説や写真をご覧いただけます。

陣笠

陣笠 (黒漆塗丸に桔梗紋陣笠)

陣笠
(黒漆塗丸に桔梗紋陣笠)

戦国時代、大量に動員された足軽の頭を守るために用意されたのが、薄い鉄板や漆を塗った皮を張り合わせて補強した、円錐形の帽子「陣笠」(じんがさ)です。江戸時代に武士が公用で外出するとき、自家の家紋を入れた陣笠をかぶりましたが、これは頭を守るというよりも装飾の意味が強かったと言われます。

幕末になって再び戦乱の時代が訪れると、陣笠も変化しました。19世紀初頭に誕生した「とんきょ帽」は、黒い漆塗りで背が高い円錐形の帽子。他には、「江川英龍」(えがわひでたつ)が作ったと伝えられる、半月型の「韮山笠」(にらやまがさ)などがありました。

陣笠・陣羽織・火事装束写真陣笠・陣羽織・火事装束写真
芸術的価値を持つ「陣笠」、「陣羽織」、「火事装束」を解説と写真でご覧いただけます。

その他の防御具

鎧と兜を見ると、それぞれが多くの小さな防御具から構成されています。例えば、兜からむきだしになった顔面を守る「面具」(めんぐ)、首と鎧の隙間や胸を保護する「喉輪」(のどわ)、腕への攻撃を防御する「籠手」(こて)、太ももをカバーする「佩楯」(はいだて)、膝から下を守る「臑当」(すねあて)などです。また、兜をかぶらない雑兵(ぞうひょう)が、頭を守るために鉢巻きに縫い付けて使用した「鉢金」(はちかね)という物もあります。

その他の武具一覧

指物

旗指物

旗指物

戦場で敵味方を区別するため、兵士が背中に立てていた目印が「指物」(さしもの)。なかでも、旗は「旗指物」(はたさしもの)と呼ばれ、竿に旗を結ぶ輪が付けられた「乳付旗指物」(ちつきはたさしもの)と、竿を1枚の布でくるんだ「縫いくるみ旗」という種類がありました。

戦国時代の武将は、旗以外にも様々な物を竿からぶらさげて自分の存在を誇示。デザインはとてもユニークで、例えば団扇や団子、蝶の羽など、独創性あふれる指物を使用したことが記録に残されています。

また、大将が戦場で自分の所在を示すために立てた目印は、「馬印[馬標]」(うまじるし)と呼ばれました。こちらは「織田信長」の唐傘、「豊臣秀吉」の千成瓢箪(せんなりびょうたん)、「徳川家康」の金の扇などが有名です。

合戦旗指物・幟写真合戦旗指物・幟写真
武将や戦国時代にまつわる芸術品「旗指物」を解説や写真でご覧いただけます。

視覚による指揮具

軍配

軍配

戦場で大将が軍を指揮する道具としては「軍配」(ぐんばい)、「軍扇」(ぐんせん)、「采配」(さいはい)などがあります。

軍配は「軍配団扇」(ぐんばいうちわ)の略で、室町時代から戦で用いられたと考えられている道具。単なる扇子ではなく、用いる木の種類や形状、さらに扇に描かれた月や星、太陽の寸法、さらに持ち方まで細かく規定されていました。

一方、細く割いた紙を束ねて棒の先に付けた物が采配です。紙以外に、ヤク(チベット高原で飼育されていた大型牛)の尾を使った物、紙に金箔や銀箔を押した物などもありました。

このように細かい規定を設けられたり、様々な変種が生まれたりした背景には、これらの視覚による指揮具が戦場ではあまり実用的ではなく、むしろ大将の権威を示したり、縁起を担いだりする道具だったためと考えられます。

美術品・合戦武具写真美術品・合戦武具写真
軍配をはじめ、装飾が印象的な筒や扇などの合戦武具をご覧いただけます。

音響による指揮具

敵味方が入り乱れた戦場における情報伝達で効果的なのは、音で合図する「鳴り物」(なりもの)でした。これには、寺の梵鐘(ぼんしょう)をルーツに持つ「陣鐘」(じんがね)や、鼓(つづみ/こ)を大型化させた「陣太鼓」、戦国時代の武将「黒田長政」(くろだながまさ)が中国軍から奪ったと言われる「銅鑼」(どら)、小さな音でも遠くまで響いた「拍子木」(ひょうしぎ)などがあります。

また、もともと仏具として山伏(やまぶし:山中で修行をする山岳信仰者)が利用していた「法螺貝」(ほらがい)は、攻撃を知らせる「寄せ貝」(よせがい)、退却を知らせる「引き貝」(ひきがい)などとして利用されました。平安時代後期には、多くの法螺貝を一斉に吹き鳴らし、大勢の兵士がいるように見せかけたという例も記録されています。

陣営具

床几

床几

戦場で大将が陣を敷いた場所を「帷幕」(いばく)と呼び、帷幕のなかで使われるすべての武具は「陣営具」(じんえいぐ)と呼ばれました。

例えば、陣の周囲に巡らせる「幔幕」(まんまく)。屋外ばかりでなく、屋内の陣でも家屋の周囲に張り巡らされました。幔幕は、現在の行事などで会場の周囲に張られる紅白幕などへと引き継がれています。

他にも大将が陣中で使用する腰掛けである「床几」(しょうぎ)、大将が鎧の上に着用した「陣羽織」(じんばおり)、篝火(かがりび)や松明(たいまつ)といった「照明具」など、様々な陣営具が使用されていました。

馬具

鐙

戦場で馬を機能的に用いるには、武将が安定した姿勢で馬に乗り、思い通りに馬を御する必要があります。

そこで、馬上の姿勢を安定させるための「」(くら)や、足を乗せる「」(あぶみ)、馬の首を動かして、進行方向を調整する「轡」(くつわ)や「手綱」(たづな)などの道具が発達。

このように、馬を乗りこなすための装具を「馬具」(ばぐ)と総称します。そのなかには、敵の攻撃から馬の顔を守る「馬面」(ばめん)や、馬の身体を守る「馬鎧」(うまよろい)などの防御具もありました。

馬具(鞍・鐙・轡・四方手・革物)写真馬具(鞍・鐙・轡・四方手・革物)写真
芸術的価値を持つ馬の装具「鞍」や「鐙」を、解説・写真でご覧いただけます。

武具の種類をSNSでシェアする

名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(名博メーハク) 名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(名博メーハク)
名古屋刀剣ワールド/名古屋刀剣博物館(名博メーハク)では、重要文化財などの貴重な日本刀をご覧いただくことができます。
キャラクターイラスト
キャラクターイラスト
キャラクターイラスト

「武具の基礎知識」の記事を読む


武具とは

武具とは
戦闘に用いられる道具を総称して「武具」(ぶぐ)と呼びます。日本で武具と言えば、日本刀、弓、甲冑(鎧兜/かっちゅう)、火縄銃などを思い浮かべがちですが、武具はこれら攻撃用の道具ばかりではありません。例えば戦場で陣を敷くための「陣営具」(じんえいぐ)、戦場における最大の機動力である馬を最大限に活用するための「馬具」(ばぐ)など、戦闘に使われるすべての道具が武具と呼ばれます。こうした武具は、戦い方の変化とともに大きく進化を遂げてきたのです。

武具とは

武具一覧

武具一覧
今も昔も、戦場では多彩な道具が使用されています。それらは、使用方法やその大きさなどによって「兵器」(へいき)、「武器」(ぶき)、「武具」(ぶぐ)などと呼ばれましたが、それぞれどのように異なっているかをご存じでしょうか。戦場で使われる道具の中でも、上記3種類の道具の意味を確認し、武具の多様性と芸術性について見てみましょう。

武具一覧

鐙とは

鐙とは
「鐙」(あぶみ)とは、「鞍」(くら)の両側に下げ、騎乗時に足を乗せる馬具の一種。馬具がない時代、馬に乗るのは騎馬民族のように小さな頃から鍛錬をした者の特殊技能でした。そこで、「手綱」(たづな)や「轡」(くつわ)など多くの馬具が考案され、騎乗するための器具が揃っていきます。鐙は、騎乗の際にどんな変化をもたらしたのでしょうか。鐙についてご紹介していきます。

鐙とは

鞍(くら)と鐙(あぶみ)の基本

鞍(くら)と鐙(あぶみ)の基本
「鞍」(くら)も「鐙」(あぶみ)も馬具の一種で、馬に乗る際に必要な道具です。それらの歴史は長く、鞍と鐙が地名や寺院名の由来となることも多くありました。また現代でも、競馬や馬術競技には欠かせない道具でもあります。鞍と鐙は、日本人とどのようにかかわってきたのでしょうか。その基本と歴史、逸話について解説していきます。

鞍(くら)と鐙(あぶみ)の基本

馬具の世界的ブランド

馬具の世界的ブランド
馬具ブランドには、長い歴史のなかで培ってきた技術力と深みがあり、それらを活かした商品は現在に至るまで高い人気を誇っています。例えば、世界的な高級ブランド「グッチ」や「エルメス」などは、もともと馬具メーカーから始まったのです。馬に乗ることは高等な嗜みでした。馬具は、上流階級の人々のニーズも適していたため、馬具メーカーはそのブランド力を基礎としてファッションの世界へも進出していきます。それら馬具ブランドの歴史について見ていきましょう。

馬具の世界的ブランド

馬具の種類と歴史

馬具の種類と歴史
馬を制御する道具「馬具」には多くの種類があり、歴史の中で様々に変化し、その時々における創意工夫は非常に優れています。馬具の誕生は紀元前にさかのぼり、乗馬の文化と共に日本に伝来しました。伝来した馬具は、日本国内の戦や長距離移動のなかで発展し、現在も競馬用や馬術競技用として、形も用途も変えながら進化を続けているのです。ここでは、馬具の名称と馬具ごとの歴史について迫っていきます。 名古屋刀剣ワールドの馬具〜鞍・鎧・轡・革物〜 YouTube動画

馬具の種類と歴史

騎馬隊と流鏑馬

騎馬隊と流鏑馬
「騎馬隊」と言えば、「武田信玄」の「武田騎馬軍団」が有名で、戦国時代に活躍したと言われています。一方の「流鏑馬」は、「やぶさめ」と読み、疾走する馬上から矢が放たれるときの迫力は圧倒的です。 ここでは、流鏑馬をより楽しむことができるよう、騎馬隊と流鏑馬の歴史を詳しく解説していきます。

騎馬隊と流鏑馬

旗・指物(さしもの)とは

旗・指物(さしもの)とは
「指物」(さしもの)とは、戦国時代以降の武士(兵)が、戦場において自身の所在を明らかにするためなどに使った旗のことです。元々は儀式や祭礼の際に用いられていた旗は、平安時代後期の「源平合戦」で、源氏が「白」、平家が「赤」の旗を掲げて、敵味方を区別したのを機に、戦場においても用いられるようになりました(旗印)。ここでは「武具としての旗」に焦点を当ててお話しします。

旗・指物(さしもの)とは

陣羽織とは

陣羽織とは
陣羽織は、戦国時代に登場したと言われ、戦場において武将が鎧の上から羽織りました。着物型の羽織やマント形式など、武将のセンスが光る陣羽織が数多く存在。その豪華絢爛さもあいまって、百花繚乱の様相を呈しました。ここでは、陣羽織について概要をご説明したあと、戦国武将がこだわり抜いたオリジナルの陣羽織の一部をご紹介します。 名古屋刀剣ワールドの武具〜陣羽織〜 YouTube動画

陣羽織とは

注目ワード
注目ワード