本宮ひろ志が独自に描いた織田信長。不思議な光を浴び、本能寺の変以後も生きていたとされます。織田家臣団を引き連れ、モンゴルに渡って大暴れします。(■本宮ひろ志の刀剣キャラ① チンギス・ハーンになった織田信長より)
【男一匹ガキ大将】、【サラリーマン金太郎】などで知られる本宮ひろ志(もとみやひろし)。本宮ひろ志は【夢幻の如く】、【昼まで寝太郎】などの時代劇漫画も描いています。タイムスリップや双子の入れ替わりという基本設定に、刀を用いたくない主人公像が描かれます。
本宮ひろ志は、貸本漫画家としてデビュー後、山岡荘八【織田信長】を読んだことで魅力的な物語作りに目覚めたと述べています。
当時は山岡荘八の他に、大佛次郎【炎の柱 織田信長】、斎藤道三と織田信長を描いた司馬遼太郎【国盗り物語】などが出版され、吉川英治【新書太閤記】を原作としたNHK大河ドラマでは織田信長役が人気に、という織田信長ブームの時期でした。
本宮ひろ志は、新人漫画家が中心となった少年漫画雑誌の創刊年に読み切りが掲載されたのち、同雑誌に掲載された【男一匹ガキ大将】(1968~1973年〔少年ジャンプ〕〔週刊少年ジャンプ〕掲載)が人気となります。
男気あふれる中学生の少年が喧嘩を通して全国の不良達を従えていき、やがて天下を目指します。同作は、その人気からテレビアニメ化もされました。
その人気から掲載少年漫画雑誌初の専属契約を結びます。そして、宮本武蔵を描いた【武蔵】(1972年〔週刊少年ジャンプ〕掲載)や、柴田錬三郎【真田十勇士】のNHK 人形劇化に併せて漫画化を行っています(1975~1976年、集英社発行)。
本宮ひろ志は、【夢幻の如く(ゆめまぼろしのごとく)】(1991~1995年〔スーパージャンプ〕連載)で織田信長を描きます。本能寺の変以後も織田信長が生きていたとする SFに仕上げました。
織田信長は本能寺で自害しようとしたところ、側近の森蘭丸とともに謎の光に包まれ、その後を生きていきます。
死んではいなかった織田信長は、天地夢ノ助と名乗って合戦に参加します。羽柴(豊臣)秀吉と徳川家康を改めて従えたのち、「全世界を照らす」と海外を夢見ます。その羽柴(豊臣)秀吉や、その後の合戦で死んではいなかったとした柴田勝家、池田恒興ら織田家臣団を引き連れて海を渡り、一行はモンゴルを目指します。
モンゴルで織田信長は、のちに後金を建国した建州女真を率いたヌルハチを従えます。このとき本宮ひろ志は、鉄砲隊を率いた織田信長軍と弓隊を率いたヌルハチ軍との勝負を、織田信長とヌルハチは武器を捨てて裸となり、相撲の一騎打ちで描きました。
織田信長はその後、不思議な力を受けてチンギス・ハーンの生まれ変わりにもなります。織田信長/チンギス・ハーン軍は、同じく死んでいなかったとされたイワン雷帝を倒し、アジアを治め、今度はヨーロッパを目指します。
本宮ひろ志はここに織田信長と服部半蔵の妹とのあいだにできた子・夢暴丸(むぼうまる)の話もからませ、源義経=チンギス・ハーン説をモチーフに壮大なフィクションを生み出しました。
男一匹ガキ大将で少年漫画雑誌の看板作家となる中で本宮ひろ志は、戦争物、ガキ大将物、スポーツ物と多彩な題材に取り組みました(【ゼロの白鷹】、【硬派銀次郎】、【さわやか万太郎】など)。
拠点とした系列の青年漫画雑誌でも描き(【俺の空】、【俺の空 刑事編】など)、他社の青年漫画雑誌にも進出します(【ドン 極道水滸伝】、【男樹】など)。
この時期、女性の登場人物を漫画家・もりたじゅん(本宮ひろ志の妻)が描くなど作風に女性らしさが入り込んでいき、本宮ひろ志とチューリップ組と表記するなどプロダクション方式を明示化していきます。
そして休筆宣言を経て、少年漫画雑誌で歴史物に取り組んでいきます。【三国志演義】を題材とした【天地を喰らう】や、【項羽と劉邦】を題材とした【赤龍王】などの中国史物を描きました。
その後、少年漫画雑誌を完全に離れた本宮ひろ志は、仏教を題材にしたSF【雲にのる】や、岩崎弥太郎(三菱財閥創業者)を描いた【猛き黄金の国】などを発表し、それらに続いた青年漫画が夢幻の如くでした。
本宮ひろ志は代表作のひとつとなる【サラリーマン金太郎】や戦国武将・斎藤道三を描いた【猛き黄金の国 道三】などを経て、【昼まで寝太郎】(2006~2008 年〔ビジネスジャンプ〕連載)を発表します。
主人公は、江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の時代を生きる浪人・堂内新太郎(どうないしんたろう)です。
堂内新太郎はお座敷を営む恋人と毎晩仲睦まじく、その生活から「昼まで寝太郎」と周囲から呼ばれています。本業は剣術道場で、堂内一刀流の免許皆伝の腕前から同心(江戸幕府の下級役人)に頼られ、難事件を解決する町の人気者でもあります。
その願いは叶わなかったものの、「出来れば一生…」、「人を斬りたくはない」と願っていました。物語の最後には「人斬り包丁を捨てて」、「料理の包丁を持とうかなって思ってんだ…」と恋人が営む料亭で板前として働くことを望みました。
そんな堂内新太郎の正体は、じつは棚倉藩の藩主になるはずだった男でした。
双子に生まれ、当時の習わしで双子の弟は殺されるところを父親が弟を密かに養子に出すことで解決を図ります。そのとき手違いから兄の堂内新太郎が養子に出されました。
昼まで寝太郎は山手樹一郎が【桃太郎侍】と【遠山の金さん】で描いた、双子、遊び人となる武士、町娘との恋愛模様などの着想を大いに取り込んでいます。
本宮ひろ志はその後、【猛き黄金の国 柳生宗矩】(2010~2011年〔ビジネスジャンプ〕連載)を描きます。父・柳生但馬守宗厳(号・石舟斎)、その子・柳生又右衛門宗矩(徳川将軍家兵法指南役)という剣客親子の生涯を取り上げます。
柳生新陰流の祖・柳生但馬守宗厳は同作のなかで、満月の晩、自身の流派の奥義を息子に次のように語ります。
「我が柳生新陰流活人剣は…人を殺さず活かす剣」、「それは天下をも活かす為の剣じゃ……」
柳生但馬守宗厳(号・石舟斎)の剣技・無刀取りの評判を聞きつけた徳川家康は、その剣技の披露を依頼した史実があります。
猛き黄金の国 柳生宗矩では、このとき父に同行した柳生又右衛門宗矩が徳川家康の考えと自身の流派の愛称の良さを、流れ落ちる滝の前で悟ります。
「天下は取るものにあらず」、「治めるもの」、「その為に一番 力を発揮するものこそが学問と規律つまり法じゃ…」
「徳川家康か……」、「もっと 早く会うべきだった…」
その後も本宮ひろ志は時代劇漫画に取り組んでいます(【幕末紅蓮隊】、【こううんりゅうすい〈徐福〉】、【こううんりゅうすい〈信長〉】など)。その時代劇漫画の多くで真剣による勝負の無意味さを描き続けています。