「倭刀」(わとう)とは、日本独自の刀剣文化が海を渡り、主に大陸で作成された刀剣を指す言葉です。中国、モンゴル、朝鮮など、幅広い地域で倭刀という言葉が使用されていました。日本へのたび重なる襲撃で知られる集団「倭寇」(わこう)は、倭刀を巧みに使用し、その攻撃力の強さから他国でも恐れられていたと言います。倭刀の起源から、倭刀がいかにして異文化のなかで受け入れられ、発展していったのかを見ていきましょう。また、類義語である「倭劒」(わけん)と「倭環刀」(わかんとう)という語についても説明していきます。
倭刀というのは、中国大陸における日本刀を真似た刀の呼び名です。
もともと中国では宋の時代(960~1127年)に、大太刀(おおだち)に似た「苗刀」(みょうとう)が使われていました。ルーツは、日本の大太刀であると考えられています。
苗刀は苗のように細く、軽量で、日本刀と比較すると、鍔(つば)に向かって柄が細くなるのが特徴です。苗刀が作刀されるようになったことで、中国大陸でも剣術が発展。明の武道家「程宗猷」(ていそうゆう)は日本の剣術を学び、「単刀法選」(たんとうほうせん)という苗刀の剣術書を記しました。
ちなみに、「倭」という字は、日本を意味する漢字で、日本史上でも度々この文字が用いられています。例えば「倭国」という語は、3世紀後半ごろにヤマト王権の誕生とともに出現し、中国や朝鮮では古くから日本を「倭」と呼んでいました。
福岡県福岡市から出土した金印「漢委奴国王印」にも、倭の字が含まれています。これは、現在の福岡市周辺に存在した倭国の王に対して、後漢が授与した金印です。
中国の北宋時代、日本刀をルーツとする苗刀が誕生。この時代を生きた中国の政治家「欧陽脩」(おうようしゅう)は、「日本刀歌」という詩で日本刀を絶賛しました。「佩服すればもって妖凶をはらうべし」、つまり身に携えれば災いを振り払えると詠っています。
そして、明の時代になると、大陸の海岸線沿いを広く支配していた海賊・倭寇が台頭。この倭寇が使ったのが倭刀です。
倭寇の倭刀は非常に高い攻撃力をもち、接近戦時の威力は火縄銃をしのぐほどだったとされています。
その後、明でも倭刀の製造が始まり、実戦でも用いられるようになったのです。倭寇と戦った明軍武将「戚継光」(せきけいこう)は、倭刀を用いた剣術や戦術を編み出し、それらは「戚家刀」、「戚家刀法」などと呼ばれました。
なお、人気漫画「るろうに剣心」では「倭刀術」という剣術が登場し、これは倭寇や明における剣術が由来です。
「高麗史」(こうらいし)という朝鮮の「高麗王朝」(918~1392年)に関する記述には、「倭劒」という言葉も記されています。倭刀と同様に、日本刀を意味する語として使用されていました。
また、高麗史には、倭とは別に日本という記載が見られ、倭と日本はそれぞれ使い分けがされています。日本が日本の国そのものを指すのに対して、倭は日本の俗称。倭という漢字の語源は、「したがう」、「はるか」、「みにくい」という意味です。そのことから、日本の呼称として「倭」が使われる場合、マイナスのイメージを含んでいたと考えられます。
さらに、朝鮮半島の史書「成宗實録」(せいそうじつろく)や「中宗實録」(ちゅうそうじつろく)には、「倭環刀」という言葉も登場。こちらも倭刀と同様に、日本刀を指す言葉です。
倭刀と倭環刀はどちらも刀剣そのものを指しますが、特に倭劒は刀剣そのもの以外にも、日本の剣術という意味合いを含んでいたとされます。さらに、そこから派生し、朝鮮文学においては「倭劒士」という用語も誕生。日本で言うところの剣客を指し、物語のモチーフとして扱われていました。