日本歴史時代作家協会賞は、歴史時代作家クラブ賞として始まります(2012年)。同クラブは津本陽(つもとよう)を名誉会長兼顧問に、歴史小説家・時代小説家・編集者の親睦団体として結成。津本陽逝去後、同賞は日本歴史時代作家協会賞に名称変更されています(2019年)。前年1年間に初めて刊行された書籍から選ばれ、歴史・時代小説の隆盛と育成を目的とする同賞では、その作品賞において、ほぼ毎回2作品が選ばれ、歴史・時代小説への関心を高めています。
第1回(2012年)の作品賞は、2作品に贈られました。
1作品目は、塚本靑史が隋の煬帝の生涯を記した『煬帝』です。2作品目は、諸田玲子(新田次郎文学賞獲得者)の『四十八人目の忠臣』です。礒貝十郎佐衛門(赤穂義士)の架空の恋人・女中のきよを主人公とした物語でした。
第2回(2013年)の作品賞でも、2作品に贈られました。
1作品目は、伊東潤(第1回本屋が選ぶ時代小説大賞、吉川英治文学新人賞の獲得者)の『義烈千秋 天狗党西へ』です。尊王攘夷(※天皇を尊び、外国を排斥しようとする)運動の急進派の面々による天狗党の首領格・藤田小四郎(水戸藩藩士。水戸学者・藤田東湖の四男)を主人公にした天狗党の悲劇です。
2作品目は、帚木蓬生(ははきぎほうせい:吉川英治文学新人賞、山本周五郎賞、柴田錬三郎賞、新田次郎文学賞、小学館児童出版文化賞、日本医療小説大賞の獲得者)の『日御子』です。架空の使譯(通訳)一族を通して日御子(モデルは卑弥呼)以前以後の日本のあけぼのが描かれました。
かたづの!(2013~2014年『小説すばる』連載)は、東日本大震災(2011年)が執筆のきっかけだったと中島京子は語っています。小説で取り上げた時代は、三陸津波に襲われていた時期でもありました(1611年:慶長三陸地震)。
物語の語り手は、遠野の片角(かたづの)伝説がふまえられた片角です。
主人公の祢々(ねね)でありのちの女城主・清心尼(八戸氏第21代当主)と、角を1本(片角)しか持たない羚羊(かもしか)との不思議な友情を通して物語は描かれます。この羚羊は寿命で亡くなったあと、1本の角(かたづの)として八戸氏の秘宝となり、清心尼に寄り添い続けます。
シリアスな生涯を送った清心尼の生き方が、こうして歴史ファンタジーとして彩られました。同作は、河合隼雄物語賞、柴田錬三郎賞も獲得しています。
祢々は、夫の八戸直政(八戸氏第20代当主)の急死と幼い嫡男・久松の不審死を受け、当主となることを決意します(1614年)。それは、三戸城を居城とする南部藩宗家の叔父・南部利直(南部氏第27代当主)による謀略への対抗でした。清心尼は南部利直から勧められた再嫁を退け、清心尼となり、政を担います。そして南部利直から遠野への理不尽な国替えを命じられたとき、戦を選ばずに家臣と領民を守り抜く選択をします。
清心尼は、重臣の新田左馬之介とその息子の新田弥十郎、そして新田左馬之介の嫡男から娘婿に迎え家督を譲った八戸弥六郎直義(八戸氏第22代当主)らの前で次の宣言を行います。
顎鬚を撫でていた新田左馬之介が重い口を開いた。
「いまはもう、三戸の思惑を云々する時期を過ぎました。座して死を待つか、刀を交えるか、二つに一つとあらば、戦いあるのみ。八戸武士の魂を、目にも腸(はらわた)にも焼きつけてやるのみ。それ以外に、吾らに残された道はござらぬ」
「失礼ながら、清心様は女人。これより先は、評定もお辛かろうと思われます」
と声を上げたのはその左馬之介の息子だった。清心様はこの若い侍に、きつい一瞥(いちべつ)を投げた。
「無礼ではありませんか、弥十郎殿。この清心尼は、ここにおられる弥六郎直義様が二十二代当主となられるまで、政一切を預かった女亭主。いまもご主人が不在の際には、わたしがこの城の主です」
「ご無礼仕りました。が、ご無礼を承知で申し上げます。戦以外に吾らに道がないならば、戦のことは男どもにお任せいただきたい」
「戦以外に道がないと、なぜ性急に決めてしまうのです」
「他にどんな道があると言われる」
清心様はここで大きく呼吸をした。
「遠野へ移るのです」
一瞬、間の抜けた妙な時が流れ、男たちは静かになった。
(中略)
「義母上」
直義様が、制止するように呼びかけた。清心は悔しそうに続けた。
「わたしだって、この八戸を去りたくない。そんなことは誰でも同じです。けれど、城を枕に討死して何が残る。武士の誇りを、誰が残すのか」
「義母上。それを仰せられるなら、南部師行公が後醍醐天皇から賜ったこの地を去って、この海、この山河、この八戸を失って、吾らに何が残りましょう」
上ずった義母の気持ちをなだめようというのか、直義様が清心様の肩に手を置いた。男たちはこれ以上何も聞きたくないと言わんばかりに眉根に皺を作って口を開かなかった。
中島京子『かたづの!』より
第5回(2016年)の作品賞も2作品です。
1作品目は、梶よう子(九州さが大衆文学賞=大賞・笹沢左保賞、松本清張賞の獲得者)の『ヨイ豊』です。江戸時代後期から明治時代初期を生きた4代目・歌川豊国(2代目・歌川国貞)を主人公に、偉大な3代目・歌川豊国(初代・歌川国貞)以降を生きる歌川一門の苦悩が描かれます。
2作品目は、澤田瞳子(中山義秀文学賞、本屋が選ぶ時代小説大賞の獲得者)の『若冲』です。江戸時代中後期を生きた絵師・伊藤若冲の生涯が記されます。なお若冲は他に、親鸞賞も獲得しています。
第6回(2017年)の作品賞は、荒山徹(舟橋聖一文学賞の獲得者)の『白村江』です。
7世紀に朝鮮半島で行われた白村江の戦いを大胆な仮説によって描いた同作は、他にも歴史・時代小説ベスト10(現在は歴史・時代小説ベスト3:『週刊朝日』)で同年の1位を獲得しています。
第7回(2018年)の作品賞は再び2作品です。
1作品目は、浮穴みみ(うきあなみみ:小説推理新人賞の受賞者)の『鳳凰の船』です。江戸時代後期から明治時代を生きた実在の函館の船大工・続豊治(つづきとよじ)の生涯が記されます。
2作品目は、谷津矢車『おもちゃ絵芳藤』です。こちらも江戸時代後期から明治時代を生きた実在の浮世絵師・歌川芳藤(うたがわよしふじ:歌川国芳の弟子)の生涯が記されました。
歴史小説家・時代小説家・編集者の親睦団体として結成された歴史時代作家クラブは、名誉会長兼顧問の津本陽(つもとよう)の逝去後、日本歴史時代作家協会に名称を変更。それに伴って賞の名称も、日本歴史時代作家協会賞に変更して継承します(2019年)。
名称変更後の第8回(2019年)の作品賞も2作品に贈られました。
1作品目は、天野純希(あまのすみき:小説すばる新人賞、中山義秀文学賞の獲得者)の『雑賀のいくさ姫』です。雑賀孫一の架空の娘を主人公に戦国時代末期を舞台に西国大名たちの水軍と日本を狙う大海賊との架空の対決物語でした。
2作品目は、篠綾子『青山に在り』です。幕末を舞台に川越藩の筆頭家老の架空の息子と彼と瓜二つの百姓の息子の数奇な運命物語が創作されました。
第9回(2020年)の作品賞は、木下昌輝『まむし三代記』です。
木下昌輝はこれまで、歴史時代作家クラブ賞・新人賞、舟橋聖一文学賞、咲くやこの花賞(文芸その他部門)、大阪ほんま本大賞、野村胡堂文学賞を獲得していました。同作によって、歴史時代作家クラブ賞・新人賞と作品賞の獲得者となりました。斎藤道三とその父、その息子の親子3代の記録を綴ったまむし三代記は他に、中山義秀文学賞も獲得しています。
第10回(2021年)の作品賞は、武川佑『千里をゆけ くじ引き将軍と隻腕女』です。こちらも歴史時代作家クラブ賞・新人賞の獲得者による、歴史時代作家クラブ賞・作品賞の獲得となりました。比叡山のふもと坂本の峠で茶屋の給仕をする架空の娘・小鼓(こづつみ)を主人公とするこの物語では、小鼓の父を斬ることを指示した高僧・青蓮院義圓(しようれんいんぎれん:のちにくじ引きによって選ばれたことで室町幕府第6代将軍・足利義教となる)との数奇な運命が描かれます。
主人公の小鼓は、小鼓の父を斬ろうとした高僧・青蓮院義圓(のちの室町幕府第6代将軍・足利義教)の側近に左腕を斬られたことで隻腕となります。そのことで青蓮院義圓による文化施設・坊門殿に身を寄せることになり、高僧・満済(まんさい)から本格的に兵法を学ぶことになりました。
やがて物語は大きく変転し、西国(室町幕府)と東国(鎌倉公方)との対立が徐々に明らかになります。そこには、青蓮院義圓(足利義教)の存在を快く思っていなかった、足利持氏(第4代鎌倉公方)の存在があり、この対立は小鼓の父が西国側から狙われたこととも関係していました。
物語の山場、小鼓はかつて世話になった足利義教(室町幕府第6代将軍)との対決にあたり、兵法を重んじ、次のように述べます。
「みなさま、わたしは今日、病を治す庵を造る銭を出してほしくて参りました。みなさまの御助力なくてはできぬことです。戦さになれば人がおおぜい傷つきます。わたしのように腕をなくす者もでてきます」
小袖の袖をまくりあげ、小鼓は義手と腕の接合部を見せた。誰も恐れるような目を向けることはなく、じっと耳を傾けている。
「戦さで傷ついた人を見捨てては、畑を耕す者がいなくなり、土地は痩せこけます。そうなったら、年貢米が激減します。戦さに負けるのは、土地が死ぬのとおなじ、わたしはそうならぬよう、傷ついた人を見捨てず、土地を捨てることがないよう、守りたいのです」
これが小鼓の考えた、尻のまくりかたであった。
(中略)
「いかに負けるかは、長い目で見れば、義教にいかに勝つかという話です。義教の治世は長く続かない。京の者は『恐怖の世』と呼んで恐れております。義教が死んだとき…」
武川佑『千里をゆけ くじ引き将軍と隻腕女』より
第11回(2022年)の作品賞も2作品です。1作品目は、矢野隆(小説すばる新人賞獲得者)の『琉球建国記』です。15世紀の琉球王国の勝連城(かつれんぐすく)を居城とした実在の按司(あじ※琉球王国における大名の位)・阿麻和利(あまわり)の生涯が記されました。2作品目は、吉川永青(野村胡堂文学賞獲得者)『高く翔べ 快商・紀伊國屋文左衛門』です。江戸時代中期を生きた商人・紀伊國屋文左衛門の生涯が記されました。