2000年代以降の話題の刀剣小説

直木三十五賞
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直木三十五賞 直木三十五賞
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直木三十五賞は時代小説を得意とした直木三十五が逝去した翌年、文藝春秋社(現・文藝春秋)が創設(1935年)。毎年上半期と下半期の年2回、現在は中堅以上の作家を対象に、娯楽小説寄りの作品に与えられています。2000年代以降は、女性作家による時代小説の受賞が急増します。

2000年代は回想形式が話題に

吉原手引草

吉原手引草

2000年代、直木三十五賞における時代小説の受賞作は、山本一力が江戸時代中後期の豆腐職人一家を描いた人情時代小説『あかね空』(2001年下半期受賞)に始まります。以後、乙川優三郎(おとかわゆうさぶろう)の中篇集『生きる』(2002年上半期受賞)、京極夏彦の妖怪時代小説の人気シリーズで明治時代初期を舞台にした『後巷説百物語』(のちのこうせつひゃくものがたり:2003年下半期受賞)が続きました。

乙川優次郎は時代小説集『五年の梅』(2000年)で、京極夏彦は古典怪談を題材にしたシリーズ『覘き小平次』(2002年)で、それぞれ山本周五郎賞を獲得していたばかりでした。そして、松竹歌舞伎の企画制作に携わったのち作家となった松井今朝子が『吉原手引草』(よしわらてびきぐさ)で直木三十五賞を獲得します(2007年上半期)。

同作は全盛期を誇っていた若き花魁・葛城が失踪したことで、絵双紙(※絵入りの読み物)見習いが関係者インタビューの形式でその謎を探っていく時代劇ミステリーでした。その翌年には、豊臣秀吉に仕えた茶人・千利休の生涯を記した山本兼一『利休にたずねよ』が受賞します(2008年下半期)。同作は、本人と関係者の一人称視点で、千利休の切腹日から過去へと遡って書かれる形式でした。この時期の直木三十五賞を獲得した時代小説には、表現形式に共通性が見出せました。

廓のなかでの刀剣

松井今朝子は吉原手引草(2005~2006年『星星峡』連載)を書くにあたり、アメリカ人作家スタッズ・ターケルが多彩な職業の人々の歴史を口述形式でまとめた著書『仕事』を参照したと明かしています。物語の謎に迫っていく展開では、自身が家庭用ゲーム好きであることを活かし、ロールプレイングゲーム(RPG)の感覚を導入したと言います。

同作には、引手茶屋、遊郭の見世番・番頭・番頭新造・遣手・床廻し、幇間(ほうかん)、指切り屋、女衒(ぜげん)など、遊郭にかかわる多彩な職業人が登場します。絵双紙見習いの調査を通して彼らの仕事紹介も交えながら、葛城失踪の謎が探られます。

小説の前段「舞鶴屋番頭 源六の弁」では、廓における刀剣の扱いが記されました。

六ツの鐘を合図に夜見世がはじまると、客人が一時に押し寄せて妓楼(みせ)はいずこも大わらわ。お武家様でも登楼をするときは丸腰になるのが廓の掟で、うちのような大見世だと刀は引手茶屋のほうで預かるが、素上がりの客人はこの階段の下で大小をお預かりして、内所の刀架(かたなかけ)に置きます。お帰りの際に間違えてお渡ししたらただじゃ済みませんから、預かるときは気をひきしめていちいちたしかめなくちゃならない。

松井今朝子『吉原手引草』より

2010年代は芸術家の題材が増加

漂砂のうたう

漂砂のうたう

2010年代、時代小説の受賞作は、実在した根津遊廓の明治時代初期を舞台にした木内昇(きうちのぼり)『漂砂のうたう』(ひょうさのうたう:2010年下半期受賞)に始まります。

御家人の次男坊から現在は遊郭で立番(客引)として生きる架空の男が主人公です。三遊亭圓朝の実在した弟子・ポン太も登場します。

以後、葉室麟(はむろりん)が書いた3年後に切腹が決まっている蟄居(ちっきょ)を命じられた架空の武士の物語『蜩ノ記』(ひぐらしのき:2011年下半期受賞)、安部龍太郎による豊臣秀吉と同じ時代を生きた天才絵師・長谷川等伯の生涯を記した『等伯』(2012年下半期受賞)が続きます。

そして、朝井まかてが『恋歌』(れんか)で受賞します(2013年下半期)。幕末から明治時代にかけて生きた女性歌人・中島歌子の生涯が記されました。彼女は、三宅花圃、樋口一葉などの師としても知られます。同作は、本屋が選ぶ時代小説大賞も同年受賞しています。

恋歌

恋歌

渦 妹背山婦女庭訓 魂結び


妹背山婦女庭訓 魂結び

さらに、青山文平の武家小説集『つまをめとらば』(2015年下半期受賞)、大島真寿美『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』(2019年上半期受賞)が続きます。渦 妹背山婦女庭訓 魂結びでは、江戸時代中後期に実在した竹本座(大坂・道頓堀)の浄瑠璃作者・近松半二の生涯を記します。

彼の代表作「妹背山婦女庭訓」(いもせやまおんなていきん)は、藤原鎌足による蘇我入鹿の討伐が題材でした。渦 妹背山婦女庭訓 魂結びは、高校生直木賞と大阪ほんま本大賞も獲得しました。

天狗党の夫の無事を祈る歌人

朝井まかてが書き下ろした恋歌における重要な要素は、主人公・中島歌子の夫、水戸藩藩士・林忠左衛門以徳(はやしちゅうざえもんもちのり)との恋愛です。

林忠左衛門以徳は、水戸藩内における尊王攘夷派(※天皇を尊び、外国を排斥しようとする一派)の急先鋒・天狗党の志士にあって藩内の調整に取り組んでいました。けれども、天狗党の首領格・藤田小四郎(水戸学者・藤田東湖の四男)は徳川慶篤(とくがわよしあつ:水戸藩10代藩主)に隠居を迫るが叶わず、筑波山で挙兵。水戸城江戸幕府からの討伐軍がやってきた際、天狗党の面々が貞芳院(ていほういん:徳川慶喜の母)のいた水戸城内へ鉛弾を浴びせるかたちになったことで朝敵となります。

こうして天狗党の家は取り潰し、妻子も捕らえられることなり、中島歌子も牢屋「赤沼の御長屋」で天狗党の家族達と過ごすことになりました。史実に基づくその場面では、中島歌子の武士道への想いが描かれます。

「では、ではあなたの御夫君は家にお戻りになられたのですね」

私は希みを取り戻して、女の両腕をしゃにむに掴んだ。水戸に戻ってきた者が一人でもいるとすれば、以徳様も帰ってこられるかもしれない。女は小さくうなずいて返した。

「投降した後、林様は逃げろと仰せになったそうです。逃げて一目なりとも、妻女に相見えよと」

ああ、やはりそうだ。以徳様は帰ってきてくださる。私の元に。

「御蔭様で夫は天狗党狩の手にかかることなく、自ら切腹することができました。己のような身分の低い侍がかような最期を迎えられるのも、林様に賜った御恩と口にして果てました。私もすぐさまあとを追うつもりでございました。だども、……町人の出ゆえ、懐剣で咽喉を貫く覚悟が決まりませなんだ。夫の傍で迷ううち、補吏に捕えられ……」

語尾を湿らせた女はこの世にあることを恥じているのだろう、身を揉んでむせび始めた。夫や子の消息を知りたいと集まってきていた女たちがそっと膝を動かし、一人、二人と場を離れていく。私は立ち上がる気力もなく、女の痩せた肩が弱々しく震えるのを見ていた。

そのうち、私はあろうことか女の泣き声が腹立たしく、鬱陶しくてたまらなくなった。

死ぬために戻ってきた夫をこの妻は何ゆえ、説き伏せなかったのだろう。切腹が武士の誉だなどと血迷っている夫に蓑笠をかぶせ、何ゆえ遠国に落ちのびなかったのだろう。そこで百姓をして生きる道はなかったのか、そういう闘い方はないのか。

侍の誇りも志も捨てて、私と共にひっそりと暮らしてくださいませぬか。

そう願ったら、以徳様はうんと言ってくださるだろうか。夜を尽くしてそのことを考えたけれど、遠くの森で梟が啼くだけだった。

朝井まかて『恋歌』より

2020年代は女性作家に始まる

心淋し川

心淋し川

星落ちて、なお

星落ちて、なお

2020年代、時代小説の受賞作は、西條奈加の全6話の連作時代小説『心淋し川』(うらさびしがわ:2020年下半期受賞)に始まります。江戸時代の千駄木町の一角に流れる心淋し川のどん詰まりに立つ長屋で生きる人々の暮らしが描かれます。

翌年、澤田瞳子『星落ちて、なお』が受賞(2021年上半期)。天才絵師・河鍋暁斎(かわなべきょうさい)の娘で、明治時代から昭和時代初期を生きた女性絵師・河鍋暁翠(かわなべきょうすい)が主人公です。

2021年下半期は2作の時代小説が同時受賞

塞王の楯

塞王の楯

黒牢城

黒牢城

2021年下半期、直木三十五賞では2作の時代小説が同時受賞します。今村翔吾『塞王の楯』(さいおうのたて)と米澤穂信(よねざわほのぶ)『黒牢城』(こくろうじょう)です。

塞王の楯は豊臣秀吉没後、京極高次が籠城する大津城の改修を任された石工職人(穴太衆)と、その大津城を攻める石田三成から依頼を受けた鉄砲職人(国友衆)との職人対決が描かれます。関ヶ原の戦いの前哨戦となる史実がベースです(大津城の戦い)。今村翔吾はこの時期、石田三成を主人公とする『八本目の槍』で吉川英治文学新人賞と野村胡堂文学賞を(共に2020年)、松永久秀を主人公とする『じんかん』で山田風太郎賞を(2020年度)、『羽州ぼろ鳶組』シリーズで吉川英治文庫賞(2021年)をそれぞれ獲得していました。

黒牢城は、織田信長に反旗を翻して有岡城に立て籠もった荒木村重が主人公です。城内で起こった難事件の解決を、幽閉していた織田方の軍師・黒田官兵衛に頼るミステリーが描かれます。米澤穂信がミステリー作家としてデビューして20周年の年に刊行され、初の長編時代小説となりました。山本周五郎賞の受賞者(2014年)でもあった米澤穂信は、同作で山田風太郎賞も獲得した他、ミステリー関連の賞を複数獲得しました(『ミステリが読みたい!』、『週刊文春ミステリーベスト10』、『このミステリーがすごい!』、『本格ミステリ・ベスト10』すべて1位)。

2000年代以降、直木三十五賞を受賞した時代小説では、女性作家の受賞者が急増しました(2022年下半期は千早茜『しろがねの葉』が受賞、2023年上半期は垣根涼介『極楽征夷大将軍』と永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』が受賞)。また、ミステリー形式も特徴となり、時代小説の読者のすそ野を大きく広げました。

著者名:三宅顕人

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