本屋大賞は、全国の書店員がいちばん売りたい本を、投票によって選ぶ賞として創設されます(2004年)。前年1年間に初めて刊行された書籍が対象です。同賞にランキング入りした時代小説では、それまであまり知られていない歴史を題材にした作品も多く、映像化の多さでも知られる本屋大賞は新たな歴史に脚光を浴びさせる後押しとなっています。
本屋大賞において時代小説がランキングに入ったのは第2回(2005年)、飯嶋和一『黄金旅風』です。8位でした。江戸時代初期、鎖国直前の長崎で生きる実在の長崎代官・末次平左衛門(のち史上最大の朱印船貿易家)と、その親友の平尾才介(内町火消組惣頭)の2人の男の物語です。朱印船貿易を私物化した竹中重義(長崎奉行)の史実をもとに、その対立劇が描かれます。
続く第3回(2006年)では、町田康の時代小説『告白』がランキング入りします。こちらは7位でした。明治時代初期、かつての河内国(現在の大阪府南東部)南部の赤阪村で実際に起きた博打打ちの男と不貞行為をしていたその妻を巡る金と大量殺人が題材です(河内十人斬り)。この実話は、河内音頭になったことで広く知られることになりました。同作は、同年に谷崎潤一郎賞も獲得しました。
第6回(2009年)では、和田竜『のぼうの城』が2位にランクインします。歴史資料『忍城戦記』や古文書『成田記』などに記された戦国武将・成田長親(なりたながちか)の史実が題材となっています。
成田長親は、武蔵国(現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部)に忍城(おしじょう)を築いた成田氏の武将です。天下統一を目前にした豊臣秀吉による小田原城攻めの一環となった、石田三成による攻めを凌いだことでその名を残します(忍城の戦い)。
同作は、城戸賞(※新人脚本家の発掘を目的した賞)に入選した脚本『忍ぶの城』(2003年)を和田竜自らの手でノベライズ(小説化)しました(2007年)。本屋大賞にランクインした翌年、のぼうの城として映画の製作が開始(2010年)され、2年後に映画は公開されました(2012年)。
第7回(2010年)、時代小説が本屋大賞で1位にあたる大賞を獲得します。冲方丁(うぶかたとう)『天地明察』です。江戸時代前期の囲碁棋士で天文暦学者、日本独自の暦・貞享暦(じょうきょうれき)を初めて作った渋川春海(しぶかわはるみ/しゅんかい)の生涯が記されます。同作は単行本化された翌年、吉川英治文学新人賞、舟橋聖一文学賞、北東文芸賞(福島県在住であることから対象)を獲得しました(すべて2010年)。その翌年、大学読書人大賞(2011年)も獲得。漫画化(2011年)、映画化(2012年)、オーディオドラマ化(2015年)もなされました。
なお、冲方丁が徳川光圀(水戸藩第2代藩主)の生涯を記した『光圀伝』は、第10回(2013年)で11位にランクキングされており、2012年の歴史・時代小説ベスト10(現在は歴史・時代小説ベスト3:『週刊朝日』)では1位を獲得しています。
第11回(2014年)は、和田竜『村上海賊の娘』が大賞を獲得します。吉川英治文学新人賞、2013年の歴史・時代小説ベスト10(現在は歴史・時代小説ベスト3)(『週刊朝日』)の1位も獲得しました。
和田竜は同作で、第一次木津川の戦いを取り上げます。故郷・広島とゆかりのある題材ゆえでした。
織田信長は天下布武を目指し、石山本願寺(大坂本願寺)の住職・顕如との戦が始まります(石山合戦)。
大坂本願寺はこのとき、安芸国(現在の広島県西部)の毛利輝元に援軍を依頼。兵糧の搬入を毛利水軍と毛利家とつながりの深かった村上水軍が担います。その結果、木津川で石山本願寺(大坂本願寺)と雑賀(鈴木)孫一率いる雑賀衆、そして村上水軍との連合軍と、織田信長傘下の織田水軍との間で海戦が生じ、石山本願寺(大坂本願寺)側が勝利しました。それが第一次木津川の戦いです。
村上海賊の娘(2011~2013年『週刊新潮』連載)は、能島(のしま:愛媛県)の村上家当主・村上武吉(むらかみたけよし)の架空の娘・村上景(むらかみきょう)が主人公です。村上水軍は織田信長とは争いたくない。そこで毛利軍からの援軍の要請に対し、引き延ばしを図ります。小早川隆景(義理の父が毛利元就で小早川水軍を率いる)も引き延ばし派であり、織田信長と対立する上杉謙信が石山本願寺(大坂本願寺)へ加勢することを待ち望んでいました。そんな微妙な駆け引き事情のなか、村上景が織田水軍と行動を共にしてしまう物語が創作されます。
脚本賞出身の和田竜は同作でも、のぼうの城と同様に脚本から小説に仕上げています。1年間の取材や資料集めを経て、1年かけて脚本を執筆。それを雑誌で小説として2年連載。単行本化にあたってその修正に半年かかったと、創作方法を明かしています(『この時代小説がすごい!2015年版』)。
村上景は、稈婦(かんぷ:気が強く荒い女性)にして醜女(しこめ)、嫁の貰い手がない当年20歳とされます。兄に村上元吉(むらかみもとよし)と村上景親(むらかみかげちか:村上海賊の娘では主人公の弟と設定)、姉に村上(来島)通康からの養女(毛利元就の四男に嫁いだ:村上海賊の娘では美しい琴姫と設定)がいます。この兄弟間に実在した無名の女性が村上景のモデルです。
村上景は、大三島(現在の愛媛県今治市)の三島神社(現在の大山祇神社)の(大祝)鶴姫に憧れます。鶴姫は船戦で大活躍するも、敵対する大内家の水軍との船戦で恋人・越智安成が討ち死。そのあとを追って18歳で入水した伝説を残します。村上景は夫となる男と共に船戦に憧れ、海賊家の夫を望んでいます。
そんな村上景のはねっかえりぶりは、石山本願寺(大坂本願寺)の門徒が乗っていた廻船を乗っ取った悪党を退治する場面で描かれました。このときに命を救った門徒から、南蛮人が多くみられる泉州では自身の姿は美しいとされること、泉州にも海賊がいると言う話を聞きます。ちょうど毛利家直属の警固衆の長・児玉就英(こだまなりひで)に縁談も拒否されたこともあり、村上景は泉州を目指します。そして対立する織田軍傘下の真鍋水軍を率いる真鍋道夢斎(まなべどうむさい)、その子・真鍋七五三兵衛(まなべしめのひょうえ)らと行動を共にすることになります。なお、児玉就英、真鍋道夢斎、真鍋七五三兵衛も実在の武将です。
「次じゃ」
景の疾走は止まない。太刀を抜き放ったまま船板を蹴り、続く手下に巨眼を向けた。敵は大胆にも腹が接するほどに肉薄しようとしている。間合いに入るや、上段から刀を振り下ろしてきた。
「良い度胸じゃ」
景は不敵に笑った。太刀を頭上に差し上げ、目前に迫る手下の刀を受けた。
と見せるや、瞬時に腕の力を抜き、同時に左足を右後方に引くと敵の横に廻り込んだ。
景の太刀を叩き折らんばかりの勢いで打ち込まれた敵の刀は、軽くその太刀を撥ね退けてしまい、たちまち受け手を失っている。自然、手下の刀は前方へと流れ、身体も前のめりになって泳いだ。
「ひっ」
手下は小さく叫んだ。たたらを踏んで、景に側面を見せてしまっている。格闘において最も忌むべき位置関係がこれであった。とっさに首を横に向けると、すでに女海賊は太刀を上段に振り被っている。
「これまでじゃ」
景は、前方に突き出された腕ごと手下の首を断ち切った。
「痛ったあ」
と、思わず、頸に手をやったのは景親だ。周囲の兵どもが再び喝采を上げる中、顔を顰めつつ頸をさすった。
たったいま、景が見せた技は、姉が自ら編み出し、幼いころから鍛錬を重ねて磨き上げたものだ。相手にわざと太刀を打たせ、下方へと跳ね返されるその勢いを利用し、身体の横で刀を旋回させて頭上へと剣先を持ってくる。相手が強く打ち込めば打ち込むほど、景の太刀はさらなる迅速さをもって襲い掛かる。
和田竜『村上海賊の娘』より
村上水軍のルーツは、三島村上氏(さんとうむらかみうじ)です。平安時代の村上天皇から端を発するとされます(前期村上氏)。南北朝時代、北畠師清(きたばたけもろきよ:北畠親房の孫と言う説も)が芸予諸島に移住し、村上家の名跡を継ぎました。その子・村上義胤(むらかみよしつぐ)が3人の息子に3つの島を配したことで、因島(いんのしま)村上家、能島(のしま)村上家、来島(くるしま)村上家が誕生したとされます。
村上水軍の娘では、毛利家からの申し出の相談にあたり、三島の村上の筆頭が5年ぶりに揃います。能島村上の本拠、能島城の本丸屋形の広間で、村上武吉(むらかみたけよし:能島村上家の当主)、村上吉継(むらかみよしつぐ:来島村上家の重臣筆頭)がいる場に、村上吉充(むらかみよしみつ:因島村上家の当主)が最後にやって来ます。ここも刀剣場面のひとつです。
「ふう、肩凝ったあ」
と鞘ぐるみ抜いた刀で、しきりに肩を叩いている。その形が珍奇であった。幅は鋸ぐらいもあろうかというほど広く、大きく湾曲していた。鞘の中身は、ちょうど三日月のごとき形であろう。
「吉充、いまだにその刀か」
武吉は可笑しげに訊いた。
吉充自慢の青竜刀(せいりゅうとう)である。村上海賊の先祖が倭寇として朝鮮や明国の沿岸を荒し回っていた頃、この三日月の刀を持ち帰ったという。日本刀に比べて切れ味は劣るものの、見た目の迫力は抜群である。
「まあ、脅し上げるにはこれが一番だからな」
吉充は武吉に青竜刀をかざし、吉継の対面に座った。
和田竜『村上海賊の娘』より
第11回(2014年)にはもう1作、時代小説がランクインしています。5位の万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』です。
とっぴんぱらりの風太郎(2011~2013年『週刊文春』連載)は、藤堂虎高に仕えていた伊賀の忍び・風太郎(ぷうたろう)が主人公です。豊臣秀吉没後から関ヶ原の戦いを経て徳川家康の時代へ移る大坂冬の陣の時期が舞台です。
彼ら伊賀の忍びは、伊賀の忍びを束ねる・采女(うねめ)のもと、柘植屋敷にて集められた捨て子が修業を積み、生き残った者だけがなれました。主人公の風太郎と、彼とは犬猿の仲の蝉左右衛門(せみさえもん)、現在は伊賀上野城で奥勤めする百市(ももいち)、現在は大坂城で奥勤めする常世(とこよ)です。
柘植屋敷の謎の爆発後、彼らはばらばらに活動していました。そんなある日、風太郎が伊賀上野城における密命の失敗から放逐され、京の吉田山で失業者の暮らしを開始。共に放逐された黒弓(くろゆみ:新参者だった伊賀の忍びで南蛮帰り)との交流も始まります。
京では、豊臣秀吉の正室・高台院(ねね)との出会い、正体不明のひさご様の警固、かぶき者の月次組との対立、そこに風太郎を導く因心居士(いんしんこじ)が宿ることになる謎のひょうたんの物語がからみます。司馬遼太郎の影響を公言する万城目学の同作は、司馬遼太郎初期作の忍者小説『梟の城』や『果心居士の幻術』などを想起させます。
とっぴんぱらりの風太郎では、伊賀の忍び仲間同士による争いの場面で刀剣描写がなされます。
蝉に対して頭に来るのも当然だが、それよりも自分の間抜けぶりに腹が立った。蝉のやり方は、まさしく柘植屋敷でさんざんに叩きこまれた、忍びの作法そのものだった。刀を用い、膂力(りょりょく)を恃み(たのみ)相手を黙らせるのも、舌先三寸でもって相手を毒針の上に座らせ、勝手に大人しくさせるのも、ともに目指すものは同じ。手段にこだわらず、ただ目的を達すること、それこそが忍びが果たすべき唯一の使命――、とは柘植屋敷にて、俺たちがまさに命を懸けて習得させられたものの根幹だったはずだ。
万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』より
つま先でひっくり返すと、縛られた黒弓がこちらを見上げ、ふがふがと不明瞭な声を発した。
「何しているんだ、お前?」
と思わず呆れた声を上げたとき、ひんやりとした刃の感触が首筋に吸いついた。
「はい、今のであんた死んだ」
案の定、百の声が耳元でささやいた。
もう終わったぞ、と俺が低い声で告げると、「みたいね」とつまらなそうにつぶやいて、百は小刀を収めた。
ふう、と息をついて振り返ると、すでに百は玄関に向かっていた。忍び装束ではなく小袖姿という、何とも呑気な恰好である。
万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』より
次の瞬間、後ろでひとくくりにした黒髪が靡(なび)き、常世の身体が地を這って迫ってきた。真下から、のど元目がけて斬り上げられた刃を、すんでのところで枝で叩き返す。休む間もなく、撫でつけるようなやわらかな動きとともに、小刀が襲いかかってきた。俺は奴の右手の親指だけを見つめ、決して切っ先を視線で追わない。刃の動きは目くらましで、こちらが釣られて不用意に手を出すのを待っていると知っているからだ。鋭い光を放ち弧を描く刃を、ときにかわし、ときに枝で振り払い、ときに蹴りを返し牽制しつつ、黙々と常世と打ち合う様は、まるでかつての柘植屋敷の風景そのものだった。
万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』より
物語の中盤、風太郎は、高台院(ねね)とのつながりから、刀剣鑑定士・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)のもとを訪ねることになります。
「修理は刀鍛冶の仕事じゃ。確かに研ぐこともあるが、儂の仕事は目利きじゃ」
俺はふたたび首をねじり、ひょうたんの正面で胡坐をかいている光悦を見遣った。いったい、目利きとは何なのか。そんなよく分からぬ仕事で食っていけるのか、と訝しむ俺の気持ちが伝わったのか、
「刀を鑑定して、ひと振りひと振りに折り紙を付ける。いくさが終わったばかりじゃ。褒美に使われるのだろうな」
(中略)
「とにかく、将軍家からの仕事がたんにとある。連中め、百もの刀を預けていきおった。いくさに勝っても、与える土地がないゆえ、刀や金でなだめるしかないのじゃ。(中略)」
万城目学『とっぴんぱらりの風太郎』より
第19回(2022年)、山本周五郎賞の受賞者(2014年)・米澤穂信(よねざわほのぶ)の『黒牢城』(こくろうじょう)が9位にランキングされています。黒牢城は、織田信長に反旗を翻して有岡城に立て籠もった荒木村重が主人公です。城内で起こった難事件の解決を、幽閉していた織田方の軍師・黒田官兵衛に頼るミステリーが描かれます。
同作は、山田風太郎賞、そして直木三十五賞(2021年下半期)を同時受賞。4大ミステリー賞すべて1位(『ミステリが読みたい!』、『週刊文春ミステリーベスト10』、『このミステリーがすごい!』、『本格ミステリ・ベスト10』)も獲得しています。
2位にランクインした和田竜『のぼうの城』以後、冲方丁『天地明察』と和田竜『村上海賊の娘』に大賞を贈った本屋大賞。それらの主人公は、成田長親、渋川春海、村上水軍のようなこれまであまり知られていない人物でした。近年ランキング入りした戦国時代を題材にした時代小説でも、藤堂虎高に仕えていた伊賀の忍びや荒木村重が主人公でした。
映像化の多いことで知られ、広く関心を集める本屋大賞は、あまり知られていない歴史に脚光を浴びさせる賞ともなっています。