平安時代に制作が始まった「日本式甲冑」は、膨大な数の部品によって構成されており、日本固有の工芸品として、世界的な知名度・人気を誇っています。現代においては、武具(防具)としての存在意義は失っていますが、美術品としてだけではなく、歴史的な遺品としての価値をも有する物。そのため、歴史の継承という要請から、保存においても細心の注意を払わなければなりません。ここでは、甲冑(鎧兜)制作の過程と共に、その保存についてご紹介します。
「札」(さね)は、甲冑(鎧兜)の構成要素の中で最も重要な物で、構成上の基本。その材質は牛革や鉄を基本として、形状によって「本小札」(ほんこざね)、「伊予札」(いよざね)、「板札」(いたざね)に分かれます。
牛の生革や鉄などで制作された短冊状の小札で、13個の穴を2列(6個・7個)に分けて開けた標準的な小札が「並札」(なみざね)。下の8個の穴は、小札を横に重ねて革紐で綴じていくための物で「下緘の穴」(したがらみのあな)と呼ばれている穴です。
伊予札は「伊予国」(現在の愛媛県)で生まれた札だと言われ、南北朝時代以降の「胴丸」や「腹巻」に多くの使用例を見ることができます。並札などの本小札を綴じる場合には、小札の半分ずつを重ねていくことで、すべての小札が二重になりますが、伊予札では札の端を重ねていくだけのため一重の部分が発生。
もっとも、札自体の強度があれば防御力に問題はなく、本小札に比べて札の作成が簡易だったこともあり、当初は地域色の濃かったこの札が全国的に広がっていったと考えられるのです。
本小札や伊予札を用いた場合、一段の「小札板」(こざねいた)を形成するのに数枚から数十枚の札を重ね合わせていくことが必要。そのため、甲冑(鎧兜)制作には膨大な手間がかかっていました。そこで、甲冑(鎧兜)本来の防御力を落とすことなく、制作を省力化するために考えられたのが板札。
すなわち、鉄や革の1枚板で一段の小札板を形成することで、制作にかかる手間は格段に少なくなるのです。この板札を用いて仕立てられた甲冑(鎧兜)は、一般に「板物」(いたもの)と呼ばれています。
「縅糸」(おどしいと)の役割は、札板を上下に綴じ合わせていくことによって甲冑(鎧兜)を形作ること。縅糸には組紐や革紐、麻や綾などの布をたたんで紐状にした物が用いられています。「縅す」という言葉の由来としては、「緒」すなわち縅糸を札の穴に通す「緒通し」にあるという説が有力。
このように縅糸は、甲冑(鎧兜)を形成する上で重要な要素ですが、一方において、様々に染色された縅糸を用いて作り出される模様などが、甲冑(鎧兜)の美的価値を高めるという側面もあるのです。
主な物として挙げられるのは「胸板」(むないた:前胴の最上部にある金具)、「脇板」(わきいた:脇の最上部に付く金具)、「冠板」(かんむりのいた:袖、栴檀板[せんだんのいた]籠手の最上部の金具)、「眉庇」(まびさし:兜鉢の正面下に付く金具)、「押付板」(おしつけのいた:胴丸、腹巻、当世具足の胴背面の最上部にある金具)です。
革所の例として兜の「裏張」(うらばり)、「浮張」(うけばり)、「吹返」(ふきかえし)部分や胴の「肩上」(わたがみ)、「弦走韋」(つるばしりのかわ)、「蝙蝠付」(こうもりつき)、「裏包韋」(うらづつみがわ)、金具廻りに貼る絵韋(えがわ)、さらには袖の「矢摺韋」(やずりのかわ)、「籠手摺韋」(こてずりのかわ)が挙げられます。
金物には兜の鉢にある天辺の穴に据えた飾金物「八幡座」(はちまんざ)、八幡座から鉢の表面に垂らしている剣状の飾金物「篠垂」(しのだれ)、兜の正面にある立物「鍬形」(くわがた)、鍬形の土台とするために設けられた「鍬形台」(くわがただい)、化粧板に打つ鋲である「八双鋲」(はっそうびょう)、金具廻や小札、小具足などに打つ金物である「据文」(すえもん)、兜の筋や腰巻、金具廻りの保護と装飾をかねて覆う金物である「覆輪」(ふくりん)、各種の「鐶」(かん)・各種の「鋲」(びょう)などがあります。
甲冑(鎧兜)の組み立てにおけるメインは、小札を綴じ合わせていく作業です。中世における主な甲冑(鎧兜)で使われている小札は、少ない物でも約1,500枚、多い物では約3,600枚。これらを1枚ずつ革紐で横に綴じ合わせることで、1段の小札板を作り、これを縅糸で下につなぎ合わせていくことで、胴などを形成していきました。
小札板を作る際、革札と鉄札を混ぜて綴じ合わせていくことで、敵の攻撃に対する防御力を増強。革札と鉄札を1枚ずつ交互に交ぜていく方法を「1枚交ぜ」と言い、他には革札2枚と鉄札1枚を交ぜていく方法もあります。
革紐で連ねられた小札板は、漆で塗り固められることによって堅固になります。古い時代の甲冑(鎧兜)には、愛媛県にある「大山祇神社」(おおやまづみじんじゃ)所蔵の「沢潟縅鎧」(おもだかおどしよろい)のように、漆で塗り固められていない小札板も存在しますが(揺札:ゆるぎざね)、小札板の屈伸が自由だという利点がある反面、堅固さに欠けるなどの欠点があったため短期間で姿を消し、漆で小札板を塗り固める方法が一般的になりました。
小札板が設計通りの長さになったあとに行なわれるのが、小札板を縅糸で縅して大きな面にしていく作業。主な縅しの手法としては、小札1枚ごとに1本の縅糸を通して小札板の一面に隙間なく縅糸が並ぶ「毛引縅」(けびきおどし)や、間隔を空け、2本の縅糸を並べて小札板を縅していく「素懸縅」(すがけおどし)があります。
毛引縅は、本小札を用いた「大鎧」、胴丸、腹巻をはじめ、板物を用いた当世具足においても取り入れられているように、甲冑(鎧兜)における縅しの基本と言える手法。また、素懸縅については、毛引縅を簡略化した物として行なわれたと言われている手法です。
日本式甲冑は鉄などの硬い物と、革などのやわらかい有機物を組み合わせて制作されており、その違いから長期に亘って良い状態を保つためには、細心の注意を払いつつ、湿度管理や温度管理などを慎重に行なう必要があります。
また、経年劣化などによって甲冑(鎧兜)に破損が生じた場合の修理においても、その歴史的価値を損なわないように配慮することが必要です。
甲冑(鎧兜)を収納・保存するときに用いられるのが「鎧櫃」(よろいびつ)です。箱型の鎧櫃には、縦型の物と横型の物がありますが、縦型が一般的。
主な素材は木の板が一般的で、他に使われるのは竹の皮を編んだ物や、紙、皮革などで、ほとんどが漆塗で仕上げられています。鎧櫃の表面には「前」という文字や家紋が入れられ、背負ったり、取手に棒を通したりして運んでいました。
甲冑(鎧兜)を保存する上で難しいのが、湿度や温度などの管理。鉄は錆の原因となる湿度に弱いのですが、皮革や「家地」(いえじ:甲冑の裏や下地などに貼り付ける布)、漆などは乾燥しすぎると劣化が進んでしまうのです。そのため、両者の調和点を探し出すことが肝要。一般的に甲冑(鎧兜)を保存するときのコンディションは、60%前後の湿度、20度前後の気温が最も無難であると言われています。
鎧櫃に収納して保存する場合、日光が当たったりして高温になりそうな場所を避け、風通しの良い場所を選びます。埃を被ってしまうことを避けるため、密閉することも大事ですが、空気が長期間籠もってしまうのは厳禁。これを防ぐため古来行なわれてきた方法が、日の差し込まない開放した部屋にさらす「虫干し」です。これにより、蒸れや湿気・乾燥による劣化を防いでいました。
甲冑(鎧兜)を飾りたい場合には、むき出しで外気に触れる形では飾らず、ガラスなどのケースの中に入れて飾るのが好ましいと言われています。もっとも、収納・保存するときと同様に、高温になりそうな場所は避けるのが無難。冬場など空気が乾燥する時期には、有機物の繊維が劣化しやすいため、コップに水を入れて甲冑(鎧兜)の傍らに置くなどの乾燥対策が必要です。
また、虫食いなどを防ぐには防虫剤を用いることが効果的ですが、防虫剤の種類によっては有機物の部分を破損したり、染料を変色させたりするおそれがあります。
甲冑(鎧兜)を修理する場合に重要なことは、できる限り制作当時と同じような手法を用いること。甲冑(鎧兜)は美術品としての価値を有するだけではなく歴史的な遺品でもあるため、歴史史料としての価値を考慮すべきなのです。
例えば、傷んだ部分については、取り除いたりするのではなく、そのまま残すようにし、取り替える場合、取り替えた部品は、そのまま残して保存。補修した部分との区別を可能にしておく必要があります。
「理想的」な補修を行なった例としては、出雲市にある「日御碕神社」(ひのみさきじんじゃ)所蔵の国宝「白糸縅鎧」(しろいとおどしよろい)があります。幕末期の1805年(文化2年)に行なわれた補修では、修繕に用いられた白韋(しろかわ)に「文化二年修補」の文字が染め抜かれ、取り替えられた縅糸や紐などの残欠類は別に保管されました。
現品を損なわないようにしつつ、補修した部分や残欠類がはっきりと分かるようにして行なわれた作業により、白糸縅鎧は美観と共に歴史的価値(学術的価値)を保っていると言えるのです。