刀剣を収める刀装具「鞘」(さや)を作る職人を「鞘師」(さやし)と呼びます。ひとえに鞘作りと言っても仕事の幅は広大です。鞘は、家などで保管する際に使う「白鞘」(しらさや)と、外へ持ち歩く際に用いる「拵」(こしらえ)に分けられます。また、拵の原型となる「拵下地」を作るのも鞘師の仕事。ここでは、鞘師の作業内容や工程、そして、どこに技量の違いが生まれるのかなどに注目し、仕事内容をご紹介していきます。
木製刀装具としての鞘には、「白鞘」と「拵下地」の2種類があります。どちらの鞘も多くは朴(ほお)の木製です。朴の木は、日本列島の山中で育つモクレン科の落葉高木であり、木によっては高さ30m、直径1m以上にまで成長し、大きな葉は昔から「朴葉味噌」(ほおばみそ)などの郷土料理でも使われてきました。
かつては杉、檜(ひのき)なども鞘の素材として重宝されていましたが、時代を経るにつれ、朴の木のみとなります。
朴に完全移行した詳しい時期は不明ですが、「坂上田村麻呂」(さかのうえのたむらまろ)が奉納したとして重要文化財にも指定されている「播州清水寺」(兵庫県加東市)の小太刀3振は、すべての鞘が朴の木製であることが判明しているのです。坂上田村麻呂は、平安時代初期の武人ですから、少なくとも8世紀の終わりには、政権上層部において朴の木が鞘の素材として使われていたことになります。
朴の木が選ばれたのは、刀身を保護するのにふさわしい適度なやわらかさで細工がしやすく、狂いも少なく、湿気の侵入などを防ぐのに適した材質であるためです。錆発生の要因となる灰汁(あく)が少ないのも選ばれる理由になりました。しかし、すべての朴の木が「鞘に最適」という訳にはいきません。植物である以上、地域によって個体差があります。
それでは、どのような環境で育った朴の木が鞘に最適なのでしょうか。
鞘師「広井信一」氏の言葉に、その答えがあります。広井信一氏は、1909年(明治42年)に生まれ、厳しい徒弟制のもとで技を磨き、昭和期に鞘作りの名人として讃えられた人物です。
朴の木は、全国的に自生していますが、比較的寒い地方で育った木が鞘に適しています。具体的な地名を挙げると、長野県の木曽地方や、福島県の会津地方。この地で産出した朴の木が適当なやわらかさと言われています。ただし、すべてが良木という訳にはいきません。朴の木は素直な性質ゆえに、適した地方の産出であっても風当たりの強い場所で育った木に限っては板目が整わない、硬すぎて逆目が立つなどの点が目立つからです。ときに虎の尾のような斑模様を有する白鞘を見ることがありますが、それは風の仕業。風当たりの良い場所は、総じて日当たりも良い場所ですから、材質も硬めで青黒い色をしています。鞘としては、やわらかすぎても硬すぎてもいけません。山に囲まれた窪地などでスーッと真っ直ぐに育った木が最適です。
良質な朴の木を選ぶことも、鞘師の大切な仕事であることがよく分かります。
つまり、鞘作りには良質な朴の木を入手することが非常に大切。鞘師によっては、材木業者と良好な人間関係を築くことで、懇意の材木屋に融通してもらうなどの工夫を重ねているとのことです。
なお、江戸時代の1688~1703年(元禄年間)に、側用人として活躍した「柳沢吉保」(やなぎさわよしやす)を輩出したことで知られる柳沢家は、「柳沢鞘」と呼ばれる白鞘を所有。技術的な優秀さもさることながら、非常によく吟味された朴の木を選んでいるとして刀剣関係者の間では有名な作品です。
切り出した朴の木は、乾燥させなければなりません。乾燥期間は、1~10年とまちまちですが、最短でも半年は干す必要があります。赤外線や高周波を用いて人工的に短期間で乾燥させる場合もありますが、木がもろくなる上に油気まで抜け、磨きをかけても見た目が劣ることになるので、あまり好まれていません。やはり自然乾燥させた木が鞘の素材としては最適です。
自然乾燥させるには、日陰で風通しの良い場所に置くのがベストとされています。誤って天日の下にさらしてしまうと、両端に30㎝くらいずつひび割れが生じることがあるのです。
続いて鞘の2種類、白鞘と拵下地について紐解いていきましょう。
まずは白鞘。この鞘は刀身保管用であり、朴の木で作られた鞘と柄(つか)からできています。
刀剣は通常、拵に収めて携行されていますが、これは鞘全体に漆が塗られているため通気性が極めて悪く、長い間収めていると刀身が鞘内の湿気で錆びてしまうのです。
そこで考案されたのが白鞘です。一定期間携行したら、刀身が傷まないように、通気性の良い白鞘に入れて休ませるようになりました。白鞘が江戸時代「休め鞘」と呼ばれたのは、こうした事情からです。白鞘は刀剣の部屋着、もしくはくつろぎの装いと言えます。刀身が休むための鞘ですから、頑丈ではありません。内部が汚れたとき、縦に2つに割って掃除をするので、2枚の板を飯粒で練った糊(のり)「続飯」(そくい)で張り合わせただけの脆い作りになっています。
ちなみに、時代劇での斬首場面や、現代の任侠映画での出入り場面に、白鞘の刀剣を用いることがありますが、あれは完全な作り話です。生き物はもちろん、青竹や巻き藁に対しても、白鞘の柄のまま斬り付けたら、柄木(つかぎ)は真っ二つに割れ、飛び出した茎(なかご)で大怪我をしてしまいます。
昔は例外として、切れ味を試す「試し斬り」の際に、白鞘で保管していた刀剣を使用することがありました。ただ、実際に斬撃をするのは、刀身を裸にし、試し斬り専用の「斬り柄」に茎を入れてからです。樫(かし)の木製で、3ヵ所を鉄の輪で補強した頑丈な柄であり、分厚い鉛の鍔(つば)がかけられるように作られていました。
そして拵下地は、携行用の拵の原型となる鞘。拵下地に鍔や「鐺」(こじり)などの金具や塗りが施され、豊かな装飾の拵が作られます。実用性が求められるので、拵下地は白鞘よりも作りが丈夫です。
ここからは鞘師の仕事について見ていきます。
まずは仕事場となる工房。鞘制作では相応のスペースと多様な道具が必要になるので、鞘師は誰もが専用の工房を持っています。特徴として共通しているのは、強烈な日差しが入らないこと。これは、工房内に鞘の素材となる朴の木を置いているためです。自然光が少ない分は人工の光で補うので、どの鞘師も工房に大きな照明装置を完備。
また、鞘や刀身を置く関係上、工房内には長方形の木台が据えられており、鞘師はその端に座って作業を行ないます。
主に使う仕事道具は、以下の通りです。
朴の木を切断する際に使用。電動性の円形鋸を使用する場合も多くあります。
2枚に割った朴の木の内部を削るために使用。多様な幅の鑿を常備。
2枚に割った朴の木の内部を削るのに使用。多様な小刀を常備。
貼り合わせた鞘の表面を削るのに使用。数種の鉋を常備。
鉋をかけたあと鞘の表面を磨くのに使用。用いる葉は鞘師の好みによるところが大きいが、朴葉・木賊(とくさ)・椋(むく)などがよく使われます。
サンドペーパーで磨くと木の柾目(まさめ)が潰れてしまうので使用厳禁。
大量に出る削りクズを掃除するのに使用。
作業で使用する鑿や鉋を研ぐのに使用。鑿や鉋の切れ味によって鞘の仕上がりも異なってくるので、研ぎには気を使います。
飯粒を練って作った糊。鞘の形にした板を接着するのに使用。
続飯が乾くのを待つ際、鞘板を縛って固定するのに使用。
動きやすいことはもちろん、刃物による負傷を防ぐ意味で手首までの長シャツ、足首までの長ズボンが最適。
鞘制作を行なうとき、鞘師のもとには、下地研(したじとぎ)を終え「白銀師」(しろがねし)によって「鎺」(はばき)を付けられた刀身が来ています。
鞘師は茎部分を手にし、常に鞘の形と比較しつつ作業を行なうため、刀身には養生(破損防止の手当て)を施していません。このため刀身を傷めないことはもちろん、刃で自分の手を傷付けないよう細心の注意を払いつつ作業に従事します。
実際の作業工程を見てみましょう。ここで取り上げているのは白鞘制作です。
朴の木の備蓄から刀身用と柄用の素材を選びます。
電動鋸などを用いて選んだ素材を、適当な長さにするため横に切断。
刀身を素材に当て、茎部分と刃の部分の境目に印を付けてから、横に切断します。短い方が柄用、長い方が刃用です。
電動鋸などを用いて刃用・柄用の素材を縦に切断。
縦に割った素材を鑿で削っていきます。刃用が先、柄用があとといった決まりは特になく、鞘師達が自分で判断。
鑿で削ったあとを小刀でならしていきます。
削りが完了したら続飯で接着。紐で縛って楔で固定し糊が乾くのを待ちます。
樹木の葉で表面を磨いて、艶出し。
作業工程中、鞘師が最も気を使うのが⑤の鑿による削りです。鞘に収める日本刀は、1振1振個性が異なり、厚み反りなどは千差万別であるため、作業は完全にオーダーメイド。鞘師は、入念に刀身と素材を見比べて削り進めていきます。大切なのは、刀身の出し入れがスムーズにして、かつ鞘と刀身が触れ合わないこと。この鑿による削りの工程こそ、鞘師の腕の見せ所です。
なお、通常は柄に「目釘穴」(めくぎあな)を開けますが、休め鞘という性質上、大名家から出てくる白鞘などには、目釘穴を開けない例も存在します。白鞘の柄に目釘穴を開けるか開けないかは、鞘師の裁量や白鞘作りを発注した顧客の要望などで決まるのです。
携行用の拵の原型となる拵下地の制作も、白鞘の作業工程の「仕上げ磨き」までは同じになります。ただ、次に入る塗りの厚みを意識して、白鞘よりも薄目に仕上げることが重要。
磨いたあと「鯉口」(こいくち)、「返角」(かえりづの)、「栗形」(くりがた)、「鐺」(こじり)などの刀装具をはめ込めば作業は完了です。刀剣は「塗師」(ぬりし)、「柄巻師」(つかまきし)、「金工師」(きんこうし)の手に渡っていきます。
白鞘が刀剣の部屋着、もしくはくつろぎの装いとするならば、拵は外出着、または同じ武家や、町人・百姓などの被支配階級に見せるための正装。「見せる」という性質上、武士達は武家の象徴たる大小2振の拵には、ことのほか気を使いました。
被支配階級の人々に、「お腰の物がみすぼらしい」云々の印象を抱かせては、武士の面目にかかわりますし、ひいては武家による支配の根幹が揺らぐ事態になりかねないからです。
拵は、「太刀拵」(たちごしらえ)と「打刀拵」(うちがたなこしらえ)に大別され、地方によって「肥後拵」(ひごこしらえ:肥後は現在の熊本県)、「薩摩拵」(さつまこしらえ:薩摩は現在の鹿児島県)などがあり、幕末期には西洋のサーベルの影響を受けた「突兵拵」(とっぺいごしらえ)という外装も登場しました。
鞘の制作は、単に刀身に沿っていれば良いというものではありません。
例えば、まず刀身が鞘に合っていて、刀身の出し入れがスムーズであることがもっとも重要ですが、刀身にあまりにも反りがない場合、鞘を工夫することで反りを付けることもあります。逆に反りが強すぎる場合には、鞘で反りを伏せる造形とし、見た目良く仕上げるのです。これは「白銀師」(しろがねし)との共同作業になります。
ただし、鞘師と言えども好き勝手に外装を考案できる訳ではありません。拵の時代的変遷はもちろん、刀剣の歴史的背景、さらには種類によって異なる約束事を踏まえて考える必要があります。昭和期に拵下地に堪能な鞘師として異彩を放った「平戸高一」氏は、この約束事を「掟」(おきて)と表現しました。鞘師による拵下地制作は、この掟に従って行なわれるのです。
このため、注文する人に掟を無視されると制作に支障があります。掟を無視した例としては、「柄頭」(つかがしら)と「小柄」(こづか)を持ってきて打刀拵を作ってほしいなどです。打刀拵に小柄のある作品はほとんどなく、しかも指表(さしおもて)に入れるとなると何のための拵か分かりません。最低限の機能性をふまえることが、注文時における暗黙のルールであり、注文する側にも知識が求められるとも言えます。どんなに優れた鞘師であっても、約束事の遵守なしに良い仕事はできないのです。
刀身を保護するための白鞘を制作し、刀装の原型たる拵下地も作る鞘師。刀剣のケアと演出の双方を担う職人なのです。