関市における刀剣の特徴

関市で生まれた美濃伝の鍛刀法 四方詰め
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関市で生まれた美濃伝の鍛刀法 四方詰め 関市で生まれた美濃伝の鍛刀法 四方詰め
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日本刀を製造する技術のことを鍛刀法と呼びます。鉄を打ち、鍛え、刀にするためこの呼び名となりました。日本刀は刀鍛冶や刀工と呼ばれる職人の技術、さらに地域ごとにより、いろいろな鍛刀法があります。いくつかある鍛刀法のなかで、最も難しいとされる四方詰めとは、どんな鍛刀法なのでしょうか。

日本刀を製造する刀鍛冶について知ろう

刀鍛冶とは誰でも名乗れるものではなく、文化庁長官の許可が必要になります。許可を得るためには、まず、文化庁の承認を得ている刀匠の下で5年以上の修業経験が必要です。修業して4年後から受けられるのが、文化庁主催である美術刀剣刀匠技術保存研修会。研修会では、簡略化した方法で一尺三寸の鎬造り(しのぎづくり)の小脇差を作る試験が実施されます。

試験が行なわれる研修会は8日間を費やしますが、少ないときは年に2名しか修了証書を得られないという狭き門。高い技術と経験が必要な刀鍛冶には、それぞれに刃文や技法があります。息をのむほど美しい刃文を観ていると、刀鍛冶は芸術家と言われるのもうなずけるのではないでしょうか。

刀鍛冶は高齢化、後継者不足が深刻化している状況にあるものの、日本では現在約300名の職人が活躍しています。

室町時代には関だけで刀鍛冶が300人以上

日本刀作り

日本刀作り

名刀の産地として知られる岐阜県関市。鎌倉時代に元重が関に移り住んだことを機に、同地にて刀鍛冶の歴史がスタートしました。長良川、津保川の水、関で炉に使う上質な松炭が取れたこともあり、まさに日本刀作りに最適な地だったのです。

関で作られた良質な刀は武士に愛用され、室町時代には関だけで刀鍛冶が300人以上も住んでいたとされています。

数多く存在する世界の刀剣

大きくて長いの付いた中国の青龍堰月刀(せいりゅうえんげつとう)や、短くて幅の狭いヨーロッパのマインゴーシュなど、世界中にはたくさんの刀剣がありますが、なかでもデザイン性はもとより、耐久性においても日本刀は最高ランクにあるとされています。

世界の刀剣には両刃の物や大きく湾曲している物もありますが、日本刀の特徴は反り。刃を弓なりに曲げ、刀身の背中にあたる(むね)に沿って(しのぎ)があります。これにより断面が六角形になり強度を高めているのです。

関の孫六が生み出した四方詰め

四方詰め

四方詰め

関の孫六と呼ばれる刀鍛冶、二代目兼元。1523年(大永3年)頃~1538年(天文7年)頃に刀鍛冶として活躍したとされています。

美濃伝と呼ばれる日本刀の作風を世に知らしめた人物で、同じく二代目兼定も美濃伝を広めた著名な刀鍛冶です。

二代目兼元が生み出したとされる鍛刀法(たんとうほう)が「四方詰め」(しほうづめ)で、この鍛刀法は美濃伝を作る関鍛冶ならではのもの。

なお、刀鍛冶が名前に兼の字を使うのは関の刀鍛冶のみに許されていることで、とても特別な一文字だと言えます。

兼元が生み出した鍛錬法

兼元(孫六)は、四方詰めにより頑丈な日本刀を作ることに成功しました。その後、関は日本一の名刀の産地として繁栄し、この卓越した伝統技法が現代の刀匠や刃物産業に受け継がれています。そして、今や世界でも有数の刃物の産地として知られているのです。

愛された理由は折れず、曲がらず、よく切れる

四方詰めで作られる関の日本刀。その多くは鎌倉時代にほぼ完成形に近いところまで高められていたとされており、関の刀鍛冶も鎌倉時代に産声を上げました。

この地で作られる刀がなぜ、戦国時代の武士を中心に愛されたかと言えば、もちろん抜群の切れ味、頑丈さを備えていたからでしょう。数ある日本刀産地の中でも「折れず、曲がらず、よく切れる」と言われた関の日本刀は、豊臣秀吉武田信玄といった名の知れた数々の戦国武将が愛用したと伝えられています。

やわらかい芯鉄の四方を硬い鉄でくるむ四方詰め

刀は実に様々な工程を経て完成し、それぞれの作業を専門の職人が受け持つ分業制が一般的。鍛刀法である四方詰めとは、原料となる鉄の外側を、より硬い鉄で固める鍛錬法のことで、数多くの作業工程がある日本刀制作の作業工程で言えば一部分にあたります。

いくら切れ味が良い刀でも、例えば日本刀同士をぶつけあったときに折れてしまっては意味がなく、当然ながら刀で真剣勝負をする武士にとっては命取りになります。切れ味がそのままに折れない日本刀であることを実現したのが、四方詰めという鍛刀法です。

刀身の名称と硬さを知ろう

四方詰めで作った日本刀は、4ヵ所で鉄の硬さが異なります。まず、刃の中心が最もやわらかくなっていて、この部分を芯鉄と呼びます。四方詰めだけに限らず、刀はやわらかい芯鉄を硬い鉄でくるんでいるのも特徴。刀の棟となる棟鉄(むねがね)は、芯鉄と同じ炭素含有量の鋼をかねることもあり、芯鉄の次にやわらかい部位とされます。

四方詰めに用いられる鋼のなかで最も硬いのが、物を切断する刃部分となる刃鉄(はがね)。中心である芯鉄の約2倍の硬さがあります。刃は、硬度が高いほど鋭さを増しますが、それゆえに衝撃の吸収性が少ないともされる部位。粘性のある芯鉄があることで衝撃を吸収し、「折れず、曲がらず、よく切れる」刀を実現させているのです。

なお、硬い物で打たれたとき、刀と刀がぶつかったときなどに受ける面となる、平地を構成するのが皮鉄(かわがね)と呼ばれる鋼。刃鉄に次いで硬い部位で、衝撃を受けた時に曲がらないようにするため、硬度を有しています。

日本刀の断面と各部名称

日本刀の断面と各部名称

硬い鉄のポイントは炭素含有量

ひと口に鉄と言っても、実は鉄は炭素含有量によって鉄、鋼、鋳鉄の3種類に分けられます。炭素量が最も少ない物が鉄、その次に炭素含有量の高い物を鋼、最も多い物が鋳鉄。

一般的に炭素含有量が高いほど硬いとされます。四方詰めはすべて鋼で作られ、炭素含有量は0.03%~1.7%です。

知っておきたい日本刀の素材

日本刀の素材である玉鋼(たまはがね)は、良質の砂鉄を木炭で低温還元する日本古来のたたら製鉄法を使って作られた鉄のことです。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて低温還元するのですが、その際、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために、たたら製鉄法と名付けられました。

玉鋼は炭素以外の不純物、特に硫黄やリンをほとんど含まない、極めて純度の高い鉄で、この玉鋼に古い鉄などを混ぜて鍛えてベースとなる地鉄に。刃の部分は炭素含量が多く硬い物を、内側の芯には炭素含量が少なくやわらかい物を、というように、硬度の異なる地鉄を組み合わせることで強靭さを生み出します。

鍛刀法とは鉄の組み合わせ方のこと

鍛刀法

鍛刀法

硬い鉄、やわらかい鉄を組み合わせて作る日本刀。その作り方である鍛錬法は、四方詰め以外に「甲伏せ鍛」(こうぶせぎたえ)、「本三枚鍛」(ほんさんまいぎたえ)などがありますが、簡単に言えば鉄の組み合わせ方の違いと言えるでしょう。

甲伏せ鍛はやわらかい芯鉄の周りを硬い皮鉄でくるむ組み合わせで、芯鉄を含め硬さが異なる鉄を2種類使用。一方、本三枚鍛は芯鉄を含め3種類の硬さの鉄を使います。

そのため4種類の硬さがある鉄を組み合わせる四方詰めは、作業工程も多くなるために、単純に鍛錬法の中で最も難しい鍛刀法だとされているのです。

矛盾を解決できたのは芯鉄のおかげ

「折れず、曲がらず、よく切れる」のが良い日本刀の条件ですが、これは矛盾をはらんでいます。よく切れて、かつ曲がらないために鉄は硬さが必要ですが、やわらかさのない硬いだけの鉄だと折れやすくなるのです。

その矛盾は、芯鉄にやわらかい鉄を使うことで解決されたと言えるでしょう。四方詰め、甲伏せなどすべての鍛刀法で作られる刀の芯鉄がやわらかいのはそのためです。

美濃伝は五箇伝の中で唯一の存在

美濃伝と呼ばれる日本刀はすべて四方詰めにより作られており、大和山城相州備前と並ぶ五箇伝のひとつの鍛刀法。美濃伝の特徴は有力武将から庇護されることなく、刀鍛冶らによる組織が生産、販売までを担い、今日まで脈々と受け継がれてきたという点です。

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関鍛冶七流と関市の春日神社

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孫六兼元(関孫六)

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美濃伝の名工・和泉守兼定

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日本刀を作るのに適した関市の風土

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